HOME > 小説の森 > スナック『憩い』へようこそ > 吹雪の来訪者

 いやな、世の中になったと思う。べつに、ぐちを云いたい訳じゃないけど、云ってみたかったのさ。云ってみたってどうなるもんでもないけど、気休めにはなるよ。でも、私の前にはそのグチを聞いてくれる、誰かが居るわけでもないのさ。
 大体が、今日店を開けようと思ったことが、そもそも間違いなんだろう。今年は雪が少なくて、どうなってんだろうと、思っていたら、案の定、どか雪さ。今日は、朝からずっと吹雪さ、街に飲みに出ようなんて物好きが、そうそういるはずもない。ましてや、きょうは水曜日さ。いつもだって、客はすくなかったんだ。
 だからさ、普通なら今日は惰眠(だみん)を決め込んで、優雅な一日を、過ごせばよかったんだ。でもね、なぜか、今日はそういう気分になれなかった。後先、考えず、店を開けてしまったのさ。
 ああ、私の名は、大島岬。年は云いたくもないけど、四十ちょい過ぎというところさ。しけた、スナックのママさ。でもね、しけたといっても、ちゃんと商売してんだから、キリからみれば、まだまだましなほうだと思っているよ。
 近頃は、リストラだとか格差社会だとかワーキングプアだとか、景気の良い話はとんと聞かないね。おまけに、カラオケボックスだとか、カラオケスナックだとか、やたら料金の安い店が出てきて、あたし達の仕事もやりづらくなってきているよ。
 今じゃ、ほんと、客もすくなくなっているし、落す金も少なくなってきて、先行き不安がつのるわね。
 いっそ、身体でも売ろうかとさえ思ったけど、それは止めたわ。なぜって?あたしの、仲の良い友達で、仁木って娘がいたんだよ。勿論、あたしよりはずっと若かったよ。結構可愛い子で、金が欲しかったんだろうね。そこに、足を踏み入れたら、それはそれで、そんなにも割の良いことはなかったのさ。あたしは、結構彼女の話し相手になっていたから、いろいろ話を聞いたよ。
 そのうち、そうして、悪い病気を貰ってさ、彼女壊れてしまったんだよ。さすがの、私も、目をそむけたね。それだけは、ごめんこうむりたいと。
 だけど、あたしにも、良い時がないわけじゃなかったよ。というよりも、皆その時はよかったと思うよ。そうさ、バブルの時さ。おまけに、あたしも、若かった。あんな時代は、二度とないと思うよ。あのときに、比べたら、今は何なんだろうと思ってしまうよ。
 良い客も付いたし、好きな男も居た、そうして、いっぱしの悪女も演じてたこともあったよ。でも、結局のところは、今の私は、寂しい独り身さ。そうは云ってみたけど、別に寂しくなんかない。わずらわしいことを知り抜いた、私には、今のポジションはそんなに悪くはなかったんだ。だた、正直なところ、時折は寂しさを感じるというのが、あたしの本音さ。でも、大体のところが、皆そんなもんだろう、あたしはそのことに、気が付いていたよ。夫婦たって寂しいものさ、楽しかったのは新婚時代だけさ。そんな話は、客から嫌というほど、聞かされたよ。

 誰も客の居ない、スナックで、独りで立ってるママの気持ちって分かる?そうよね、寂しいものだわ。だからって、落ち込んでもしょうがない。もし、客が入ってきて、しょぼくれた、あたしの顔をみたらどうかしらね。だから、プロのあたしとしては、いつでも、あらいらっしゃいと、あかるいママの顔の、臨戦態勢はいつでもできているという訳。

 でもね、ずっと客が来なかったら、いくらあたしでも、さすがに気持ちが萎えてきてしまうわ。
 そうして、あたしは、こう思った。やっぱり、店を開けたことが、間違いだった。今日はもう客が、来ないだろう。このまま、帰ってもつまらないから、独りでやろうと思った。
 店のウイスキーを、ロックにした。音楽も、普段は余りかけることのない、JAZZに切り替えた。そうして、ロックをちびちびやり始めた。

 しばらくして、ドアが突然開いた。強い風とともに雪が吹き込んできた。だけど、それも一瞬のことだった。
 「やれやれ」
 その男は、そう云った。
 あたしは、当然のことながら、明るい声で、いらっしゃいませと云っていたわ。さすが、プロよね。
 そうして、あたしは、その男のことを、穴の開くほど見つめていた。なぜなら、こんな夜にくる、男は不思議以外の何者にも思えなかったからさ。
 あたしよりは、ずっと年上だったと思う。今時は少し珍しいかもしれないけど、紺のトレンチコートを着ていた。
 白髪がけっこう混じっていたけど、なかなかいい男だった。あたしは、後ろの壁の、ハンガーを教えてあげたら、雪をはらって、その男はコートを掛けた。本当なら、あたしが、そうするべきなんだろうけど、たった一人でやっているママとしては、多少のことは目をつむってもらうことも、あるよね。なんせ、カウンターの下のくぐり戸を通ってそちらに出るのは、ちょっと大変なんだ。もちろん、すみませんねとは、云ったけどね。

 あたしの店は、もう分かっていると思うけど、私、ママ一人でやっています。まあ、この店が細く長く続いているのも、そういうことよ。経費はできるだけ、しぼっているから。昔はこの店も、といっても以前のママさんの話だけど、女の子もバーテンも使っていたそうよ。今では、考えられない古き良き時代の話ね。

 その男は、右手の端から、2番目の椅子に腰掛けたわ。ここのカウンターはL形になっているの。右の壁と後ろの壁に向き合う形に、なっていて、結構な人数が座れるようになっているの。そうして、壁には、鏡がずっと張り巡らされていたから、ちょっと洒落ているというか、華やかな感じがするのよ。そうそう、そのL形の空間の天井には、それほど大きくはないけど、シャンデリアがあるわ。
 あたしからいうと、入った正面の少し左側、つまり客から見れば、右手のとこが、何かと話しやすくて、都合のよい場所なんだけど、ここは二番人気ね、なぜか、その反対側の客の座ったところが、人気あるのね。とくに、フリの客は、ほとんどそうだわ。よっぽど、居心地が良いのかしらね?

 「あら、お客さん、ここは始めてね?」
 「ママとは、初めてだね。昔この店によく来たことがあるんだ」
 「なんに、なさいます」
 「ボトルを、いれてもらおうか。水割りで良いよ」
 「乾杯」
 あたしにも、なにか、飲んでくれと言ってくれたので、ウーロンハイにすることにした。フリの客で、のっけから、そういってくれる客は、今時は少なくなっていたから、あたしとしては、良い客が来てくれたと思った。
 「ジャズがかかっているなんて、珍しいね」
 「今日は、お客が少なそうで、というより居なかったから私のお気に入りをかけてみたんです。よければ、他のチャンネルにかえましょうか?」
 「いや、ジャズは僕も好きなんだ。だからこのままで良いよ」
 「それにしても、吹雪の中、よくいらっしゃいましたね」
 「この店も、開いていないんじゃないかと、心配したが良かったよ」
 「どこかで、飲んでいらっしゃいましたの?」
 彼の云った店は、この町では人気のある居酒屋だった。
 「開いていたんですね」
 「ああ、でも、閉めている店も多かったよ」
 「そうでしょうね、この店は以前いらっしゃたということですが、いつごろでした?」
 「僕が、学生の時だよ」
 「そうすると、K工業大学の卒業生ですか?」
 「ああ、そうなんだ」
 「もし、よろしかったら、名刺いただけません?」
 「かまわないよ」
 あたしが、受け取った名刺にはこう書かれていた。
 「××電気株式会社 神奈川工場××部長 設楽准一」
 「あら、この苗字珍しいわね、何とお読みするんでしたっけ?」
 「設楽(しだら)というんだ」
 「わざわざ、神奈川からいらしたんですね、里帰りですか?」
 「いや、長期休暇を貰ったんで、懐かしい街に来てみたということなんだ」
 「長期休暇?」
 「ああ、実は退職することになってね」
 「あら、それほどの、お年には見えませんけど」
 「ああ、早期退職さ、関連会社への就職も決まっているんだ」
 「それは、良かったですね。いつまで、この街に?」
 「二、三日は居るつもりだけど、明日は仲の良い友達と飲む予定をしているんだ」
 「それは、楽しみですね、よかったら、明日もこの店にいらしてください」
 「友達次第になると、思うけどね」
 「期待しないで、待っていますから」
 「ところで、以前のここのママ『真由美』って云うんだけど、知ってる?」
 「私の、前の前のママだってことは、知っているけど、会ったことはないわ、もう亡くなっているんでしょ?」
 「ああそうだよ」
 設楽は、昔を思い出すような目をした。
 それから、しばらくは、たわいのない話をしていたと思うよ。酒の強い男だったが、それでも、さすがにアルコールが回ってきたのだろうね、当時の思い出話を始めたのさ。そうして、あたしに、聞かせてくれた恋の物語は、悲しいけれど妙に心に残る話だったよ。

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