HOME > 小説の森 > スナック『憩い』へようこそ > 第一話/トゥー・ヤング

 当時、僕はよくこの店に、入り浸っていた。真由美というママはちょっとくせのある人間だったけど、気持ちにパリパリッとしたところがあって、それはそれでなかなか魅力的なところがあった。そして、いったん気に入ると、ひどく面倒見の良いところがあった。それに、学生を可愛がった。ああ、可愛がったといっても、勘違いしないでよ。変な意味じゃないんだ。学生をひいきにしたというこさ。どういうわけか、僕も気に入られた人間のひとりだったと思う。その当時は、景気はよかったし、この店も客でいっぱいだった。街には、夜遅くまで酔っ払いの姿をみかけたもんだ。そうかい、岬ママもその頃は、知っていたんだよね。
 そんなわけで、店では、結構気前の良い客から奢(おご)られた、というよりママがうまくとりなしてくれて、安く飲めたから、自然足を運ぶことが多くなっていた。
 その頃は、女の子も結構来ていた。それも、ママの気質に、はまった連中だったと思う。そんな中で、ときおり見かける、京子と淳子という二人組みがいた。なんで、名前を知っているのかって、それは、後からママに教えてもらったんだ。
 スナックに来る女が、皆、はでだということはないけど、京子は結構、化粧がケバくて、ジルバがうまい女の子だった。ああ、シャンデリアの下さ、踊ったのは。でもね、今はそんなこと、めったにないんだろうけどね。
 だけど、淳子という子は、ごく大人しそうな感じで、そうだな顔が細面で、まつげが長い娘だった。ちょっと妙な組み合わせの二人だった。
 あるとき、僕は仲の良い、ああ、明日一緒に飲むことになっている、藤崎という男と、ここで飲んでいた。僕が座ったのは、この席の隣さ。そうして、ここには淳子が座っていたんだ。だからもちろん、壁際に京子が居たというわけさ。
 二人は、随分盛り上がっていた。珍しく、淳子もハイテンションだった。僕は、二人に話しかけたよ。もちろん、何度か、店で顔を会わせていて全然知らない仲じゃなかったから、打ち解けるのに時間は、そうかからなかった。
 さっきも、云ったけど、その時、淳子はとても饒舌になっていた。高校時代の同級生達と久方ぶりに会って、それから、京子とこの店に流れてきたということだった。それと、二人は、高校時代からの仲の良い友達だということも聞いた。いろんなことを話したが、今でもなぜか不思議と、そのときの会話が耳に残っているんだ。
 当時、この店にはレコードが置いてあった。今となっては、懐かしいものだね。時折、客のリクエストで、かけることがあった。

 「ママ、ねえ、あれかけてよ」
 淳子が云った。
 かかった、レコードは、なんとナット・キング・コールだった。若い彼女のリクエストにしては、ちょっと渋い感じがして驚いたのを覚えている。
 「ここの店は、ずっと前から来ていたの?」
 「京子は、そうかもしれないけど、私はわりと最近よ」
 「そうなんだ」
 「この街に戻って来て、そんなには、経っていないもの」
 「どういうこと」
 「だって、私東京に住んで居たの」
 「ふうん、でも、出身はこちらなんだろう?」
 「そうよ、高校卒業して、就職したの」
 「どんなところに、勤めていたんだい?」
 「本屋さんよ、でもこちらとは違ってとても大きな店だったわ」
 僕は、驚いた。工場だとか、デパートだとか、一般の会社の事務だとかはよく聞きそうなところであるが、本屋とは?
 「私ね、ずっと東京にあこがれていたんだ。でも、東京って怖い街だという事も聞くし、ちゃんとした固いところに勤めようと思ったの。それに、私、本読むの好きだったから」
 「で、どうだった、東京は楽しいところだった?」
 「もちろんよ、思ってたとおりに素敵なところだったわ」
 でも、小さな言葉で、こうも付け加えた。
 「でも、そうでないことも、あったけど」
 「いつ、戻ってきたの?」
 「今年の、四月よ、だから丁度一年で帰ってきたの」
 「なにか、あったの?」
 「ええ、ちょっとね」
 彼女が、暗い顔をしたので、僕はそれ以上、そのことには触れなかった。そうして、あの曲がかかった。
 「これよ、私が一番好きな曲」
 それは、トゥー・ヤングであった。歌詞の中に「僕達が愛し合うには若すぎる」という言葉が出てくる、恋の歌だった。
 彼女は、それこそ、夢見るような目をしていた。
 「彼が、この曲を好きだったの、それで私も好きになったの」
 僕は、彼女が、楽しかった東京のことを思い出しているのが分かった。

 「なにさ、それで、二人を誘ったのかい?」
 「残念ながら、そんなことは、ならかった。だから、僕がおぼえているのは、そのことだけさ」
 「それだけの、話?」
 「いや、その後の話が、あるんだ」

 僕は、トゥー・ヤングがとても好きになったし、淳子のことが何となく気になっていた。でも、それから、彼女達の姿を見かけたことは、なかった。
 その後、どれ位してからだろうか、僕はこの店で一人で飲んでいた。その日は客が少なくて、ママとは、久方ぶりに、色んな話をしていた。それで、ふと、思い出して、淳子のことを聞いてみた。

 「ああ、もう来ないと思うよ」
 「えっ、どうして」
 「東京に、いっちまったんだよ」
 「そうか、もしかして、本屋?」
 「あら、准ちゃん、そのこと聞いたの?」
 「ねえ、ママ、詳しいことを教えてよ」
 「あの娘にも、ほんと、困ったものね」
 眉をしかめると、そのことを、ママは話し始めた。
 「東京の本屋に、就職したのは聞いているね?」
 「ああ」
 「そこの店の、オーナーの息子に、拓也という男が居たそうよ。結構いい男だったらしいよ、一流の大学も出ているしね。ところで淳子は、ちょっと可愛いでしょ?」
 「ああ、僕も、そう、思うよ」
 「ちょっと可愛いけど、高校卒業したての、田舎の娘さ、そんなの、だますのなんてわけない事さ」
 僕は、その言葉でおおよそのことを、悟った。
 「拓也が、淳子のことを誘ったらしいのさ。東京を、いろいろ案内してくれたらしいよ。おまけに、ちょっと高級で洒落た店にも連れていってもらったらしいよ。なにせ、相手は店の御曹司だし。彼女は、一気に恋心満開ということだったのね。そこで、一押しさ。そうして、拓也にものにされたのさ」
 それを聞いて、そうとは思っていたけど、さすがに僕は、苦いものを飲まされたような気分になった。
 「話を聞いて、だんだん分かったことは、拓也は女たらしということさ。店の女の子には、手当たり次第、手を出していたらしいよ。ただね、向こうの女ならその辺の駆け引きは、よくご存知さ。だけど、淳子は、もろ、うぶだったんだね。戻ってきたのは、そういうわけだったんだ。女たらしの、典型さ、ものにした女には、興味がなくなる。そういうことさ。結局、淳子は、居場所が無くて帰ってきたということね」
 「それじゃなぜ、東京へ?」
 「拓也から、戻って来ないかと連絡が、あったそうだよ」
 「なら、淳子にとって良かったということじゃ、ないんですか?」
 「あんたも、馬鹿ね、考えてごらんよ。本当に、好きだったら、帰るとき引き止めないかい?しかも、戻って来てから、数ヶ月もほったらかしにするかい。ドラマじゃないけど、好きなら、自分で迎えに来るくらいの気持ちがあったっておかしくないだろ?」
 「たしかに、そうだな。彼女は、そのことが分からなかったのだろうか?」
 「わたしも、色々云ってやったよ。でも、結局、彼を好きになってしまったていたんだね」
 「そうですか」
 「わたしは思うよ、彼女は都合の良い、女として呼び戻されたのだと」

 正直、僕は悲しい気分で胸が一杯だった。彼女が、トゥー・ヤングが好きだといった心根に、いじらしいものを感じたからだ。なぜって、若いから感じるその純粋さに、当時の僕もひどく共感していた。
 しかし、僕も、ママの云うように、彼女の気持ちが報われることはないだろうと漠然と感じていた。
 果たして、今彼女は、どこでどうしているのだろう。いまでも、トゥー・ヤングを聴く事はあるのだろうか、僕はそんなことを考えていた。
 ナット・キング・コールの声はとても優しくそして暖かい。だから、なおさら、当時の彼女のことを思い出すと切ない気がしてならない。

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