HOME > 小説の森 > スナック『憩い』へようこそ > 最後の話

 昨日の吹雪はひどかったけど、今日は打って変わって良い天気になったね。昼間は眩しいくらいの陽の光だった。でもね、あたしの心は微妙だったよ。設楽さんのことさ。幸せといえば幸せだけど、やはり胸が切ないね。強がってきたけれども、あたしもただの女なんだと気が付いて嬉しいような悲しいような、なんとも頼りない気分だった。
 だけどあたしもプロさ、店に入ったらすっかり気持ちを切り替えることにした。それでも、彼が店に来てくれるのか来ないのかは、やはり気になっていたよ。
 さすがに今夜は、ぽつぽつ客も入ってきて、馴染みの客なんかと話しをしていたら、いつのまにかあたしの気持ちもまぎれていった。あたしが話していたのは、山岸といって、建築関係の仕事をしている男だった。年は私より少し上で、話題も合って気の張らない相手だった。この店を開けたときからの常連の一人だった。

 「それにしても、昨日の吹雪はひどかったわね」
 「ああ本当にひどかった。でもお陰で除雪の仕事が入ったから、うちとしては助かった。あんまり降られても却って困ることもあるから、そこそこ降ってくれるのが良い」
 「なにごとも、そうそう旨くはいかないのが人生じゃないかしら」
 「まあ、そういうことだな。ところでママ、なんかいつもと雰囲気が違うよ。何か良い事でもあったのかい?」
 「あらまあ、美人にでもなったとでもいうの。そんなこと云っても、何にも出ませんからね。つきに見放されたような女に、いいことなんか何にもありませんって」
 しかし、あたしは内心悪い気持ちはしなかった。だけど、スナックのママとしては紋切り型の話しをしなければならないわね。
 「そうだろうな、ママはいつも固いんだから。何かあったら俺が許さないから」
 「あら、まあ頼もしいこと」
 その時だった、ドアを開けて二人の男が入ってきた。初めに入ってきたのは、設楽だった。
 あたしは、本当は飛び上がりたいくらい、嬉しかったけどそこはぐっと抑えて、ごく普通の様子で商売用の笑顔を作ったのさ。気持ちが沈んでいるときに笑顔をつくるのはそれは大変さ。でも嬉しくてしょうがないのに、そこそこの笑顔をするというのも結構難儀なことだと初めて気が付いたよ。

 今夜は、いつもの一番人気のところはもう客が座っていたから、二番人気つまりあたしからは一番話しやすい場所に二人は座ってくれた。
 「あらいらしゃい、設楽さん。来てくれたのね、とても嬉しいわ。そうするとお隣の方が、藤崎さんね。始めましてよろしく」
 そのとき、あたしは設楽と視線を交わした。ほんと短い時間だったけど、言葉を交わさなくても気持ちって通じるものなのね。こんな嬉しい気持ちは何年ぶりだろうと、その時あたしは思ったよ。
 「やあ、ママ。とにかく藤崎を紹介しておこうと思ってさ。実はこれから彼の店に付き合うから、余り長居は出来ないんだ。だから、二人の一次会が終わってすぐ来たという訳さ」
 あたしは、設楽の気持ちが嬉しかった。今日はとことん飲むことになるだろうと云っていた。
 「藤崎さんのことは、昨日設楽さんから色々聞きましたよ」
 藤崎という男は、設楽と同じ年のはずだが頭の方はかなり薄くなっていた。でも優しそうな目をしていて、笑うととても人懐っこい表情をする男だった。土木関係の仕事をしている所為でもないだろうが、身体が大きかった。設楽の話では見かけによらす、歌がとても上手いとのことだった。
 「設楽とは、昔随分飲んだものさ。この店にもよく通ったな。でも、真由美ママが亡くなってからは来なくなったけど・・・」
 「そうらしいですね。これを機会にぜひ贔屓(ひいき)にしてくださいね」
 「そうだぞ、藤崎。うんと使ってやってくれ」
 「設楽が、感じの良いママだって言うものだから。とにかく顔を出そうといわれて来たんだ」
 「ありがとうございます」
 「ママもジャズが好きなんだって?」
 「ええ、そんな通ではありませんけれどね」
 「いや、好きならそれだけでいいんじゃない」
 「音楽ってそういうものですね。ところで二人はとても仲が良いんでしょ?」
 「ああ、無二の親友って奴だな」
 そう云ったのは、藤崎だった。設楽は、うなづいていた。二人は、本当に楽しそうだった。あたしは、なんかうらやましいなあと思っていた。でも。設楽が嬉しそうな様子を見ることは、自分も嬉しいと感じている自分に気が付いた。ここまで、メロメロになってしまったのかと、ほんと自分がおかしかったよ。
 「そういえば、昨日設楽さんから学生時代の話を聞かせてもらったんだけど、『キャット』という店にはよく行ったんでしょ?」
 「ああ『キャット』か、懐かしいな。ジャズがかかる店だった」
 「藤崎さんは、そこの店に居た美貴という女の子には気があったんですか?」
 「設楽、お前が話したのか?」
 「ああ、青春時代の思い出の、浅井先輩のことさ」
 「正直なところ、気にはなっていた娘だった。彼女がマスターにものにされたと聞いたときには俺も結構ショックだったな。浅井先輩の事件は妙に悲しい思い出のひとつだったな」
 「ああ」
 「あの頃のことは不思議とはっきりと覚えているんだ。なんでだろうね、最近は結構物忘れをするのに、若い頃の記憶はなんでもないことでも結構覚えていることが多い」
 「それが、年取ったことの証なんだろう」
 設楽が云った。
 「確かにそうかもしれないな。そういえば今ふと思い出したことがある。ああ、これは設楽にも話したことはなかったことだけど」
 その、藤崎の話はちょっぴり切ない話だった。

 俺の家は設楽も知っているけど、当時下宿をやっていたんだ。社会人がほとんどだったが、高校生も預かっていたことがあった。H校といえばこの街では一番の進学高だった。そんなことで、在のほうからH校に通うために下宿をするものも結構いたんだ。そうして、俺のところはどういうわけか女性の下宿人も多かったんだ。そんなことからだったと思うんだけど、女子高校生が二人下宿していたことがある。女の子を下宿させるなんて、親にしてみれば相当心配なことだったろうと思う。だから、要は女性の下宿人が多いという実績が買われたのだと思う。まあ簡単にいえば、俺のお袋がきちんとみんなの面倒を見ていたということだと思う。さっき、二人といったが、実は双子だったんだ。だから下宿は一部屋ということだった。それと男子の高校生が一人。あとは皆社会人だった。
 ああ当時の俺は、大学生だった。つまり設楽とよく飲み歩いていた頃だ。
 その双子の女子高生は、美人というタイプではなかったけれどなかなか可愛い子だったよ。ああ云っておくけど、おれはよこしまなことは考えなかったから。あまり、家で顔をあわせることはなかったしね。本音のところは当時好きな女が居たんだ。
 ただいよいよ受験も迫って来た時、頼まれて一度だけ数学の勉強を教えたことがあった。だから、まあ、二人とはある程度は、親しくなっていたとは思う。
 その二人は、双子だけあって顔は良く似ていたけど、性格は面白いくらい全く違っていたね。姉の方は少しおっとりはしていたが、しっかり者という感じだった。対して妹のほうは、ちょっと跳ね返りというか、まあ派手な性格だった。彼女はそういえば、音楽もロックが好きだったのは何となくわかるな。姉のほうはどんな音楽が好きだったのかは知らないが、琴を習っていたようだった。
 もう、卒業がそんな先ではない、そう思い始めるような頃だったと思う。

 それは日曜日の昼下がりだったと思う。いつもは、自分の部屋で音楽を聴くか、本を読んでいることが多かったが、俺は茶の間で珍しく一人で、テレビを見ていた。茶の間は、管理人室も兼ねていていつもは母がいた。きっとその日は、何か用事があって居なかったのだと思う。もしかしたら俺は留守番を頼まれていたのかもしれない。茶の間に下宿の人が来ておしゃべりをしたりテレビを見たりということはよくあることだった。
 ただ、その日は日曜日だけあって、皆出かけていたようだった。下宿はひっそりと静まりかえって、俺は誰もいないのだと思っていた。
 そうしたら、ドアをとんとんと叩く音がした。

 「どうぞ」
 「こんにちは」
 ドアを開けて入ってきたのは、姉の聡子だった。
 「お菓子をもらったんです。よかったら一緒に食べないかと持ってきたんですけど」
 「ああ、どうも、座ってよ」
 彼女は、お盆にカステラのようなお菓子を載せていた。
 「お袋は出かけてしまって居ないけど、今コーヒーを入れるから」
 聡子が、母と話しをしている姿は良く見かけていた。もしかしたら母と話しをするつもりで来たのかもしれなかった。
 
 「インスタントで申しわけないけど」
 「私もいつも、同じですから」
 「いよいよ、受験が近づいてきたね。大変だろう?」 
 「そうですね、藤崎さんもH校出身ですよね?」
 「そうだよ」
 「そうすると、私の先輩ということになりますよね」
 「そうだね」
 「先輩として、聞いてみたいことがあるんですけど、いいですか?」
 「もちろんさ、僕に答えられることであれば」
 「正直受験が不安なんですけど、先輩はどうやって乗り切ったんですか?」
 「僕も不安で逃げ出したいような気持ちになったこともあったけど、こう考えたんだ。これは皆誰でもくぐらなければならない門で、先輩達は皆そうしたと、だから自分だけが苦しいんじゃないと考えたんだ」
 「そうですよね、結局逃げるわけにはいかないと」
 「そうして、結果を考えないことだと思う。先のことを考えるとかえって自滅しがちだと思う。結果は後からついてくるものだということだよ」
 「先輩は恋愛なんかはどうだったんですか?」
 「高校の時は、片思いとかはあったけどね。告白したわけでもなかったし」
 「そうですか」
 「ところで、私の仲の良い友達から相談を受けて困ったことがあるんですけれど、先輩ならどう考えるかなと思って」
 「どんなこと?」
 「その子には、妹がいるんですけど。あまり仲が良くないらしいんですよ。そうして、その妹というのがある男に夢中になっちゃっているらしいんです。学校の勉強も全然手に付かないらしいんですね。彼女はそのことをとても心配して妹に云ったそうですが、逆効果になったらしんですよ」
 「お姉ちゃんなんか人を好きになったことなんかないくせに、私の気持ち分かるわけないよ。よけいな口出しをしないでほしいの、私のことを妬(や)いているんでしょ」
 「そう云われたそうです。本当は、彼女だって好きな人がいるのに言い出せないだけなのに、よけい悲しかったらしいんですよ」
 「そうか、それは心配なことだね。でも、人を好きになるってのは、こればっかりはある意味どうにもならないところがある。彼女はそのことを親には、相談していないんだろうか?」
 「そんなことをしたら、妹との間に徹底的に亀裂が入ると考えていました。本当に彼女は妹のことを大切に思っているらしいんです」
 「なるほどね、難しい相談だな。しばらくは、その妹さんの様子をじっとみているしかないのだろうな」
 「そうなんでしょうね」
 「解答にならなくて、ごめんね」
 「いいんです、話を聞いてもらえただけでも。正解は誰にも分からないかもしれないですよね」
 そこで、俺達の会話が途切れた。彼女のかすかなため息が聞こえた。暫くして、彼女は口を開いた。

 「時が経つのは早いですね、もう間もなく卒業なんですね」
 「そうだね、二人がここに来たのはついこの間のことのような気がする」
 「一年間でした」
 「そうか、転入してきたんだね」
 「短かかったけど、この下宿のことは忘れませんから」
 「あまり話は出来なかったけど、君たちの事は忘れないよ。希望の大学に入れると良いね」
 「いろいろ、ありがとう」
 その時窓から差し込んだ西日のあかりが、俺達のコーヒーカップを明るく照らし出した。なぜだか、そのことが俺の記憶の中で鮮明に残っているんだ。
 彼女の記憶はそれで最後だった。
 気が付いたときには、高校生達の部屋には、何もなくなって居た。

 それから、何ヶ月かしてからたまたまお袋と話しをしていて、思わぬことに気が付いたんだ。
 俺は、彼女らが双子だから仲が良いものだと、はなから決め込んでいた。普通はそう思うだろう?だがお袋の話から聡子は、二人の性格の違いや、妹の行動にかなり心を痛めていたそうだった。お袋とよく話をしていたのは、そのようなことだったらしい。
 それで、彼女が相談した彼女の友達というのは、実は彼女自身だったんじゃないか、俺はそう気が付いたんだ。思い出してみれば、その時彼女がお菓子を持って部屋に来たのは単なる偶然ではなかったのではないか。そのお菓子は、もしかしたら彼女が自分で買ってきたものではなかったのか、そう思ったら俺は彼女のことがとてもいじらしくなっていた。

 「藤崎さん、あなたはとてもお馬鹿な人ね、その時彼女の気持ちには気づかなかったの?」
 岬ママが云った。
 「そうなんだ、その時は気が付かなかった。そうして後になってから、話を聞いて貰えただけでもという彼女の言葉を思い出して、その意味に気が付いた」
 「藤崎は、今ではこうだけどあの頃は今で云うイケメンといってもおかしくはなかったからな」
 「若い頃の、話さ。だけど、今になると妙に懐かしく感じるんだ」
 そう云うと、藤崎はグラスの酒をあおった。

 あたしは、会ったこともないその聡子という女の子の気持ちが痛いほど分かるような気がしたね。どうしても、何らかの形で気持ちを伝えたかったのだと思う。藤崎は、設楽の友達だけあっていい男だと思ったよ。

 「ママ、ちょっと長話をしてしまったけど、そろそろ次に行かなくちゃならないので」
 藤崎がそう云った。
 「そうなの、いよいよお別れね。設楽さん、明日発つんでしょ」
 「ああそうなんだ、ママも身体大切にしてね」
 「こちらに、来ることがあったら必ず店に来てね」
 「約束するよ」
 「ママ、俺はまた来るからね」
 「待ってますよ。それじゃ、二人を見送るわ」
 扉の外はさすがに寒かった。
 設楽は、もうなにも云わなかった、あたしの目をじっと見つめて、右手を少し上げた。さよならのつもりなのだろう。そうして二人は、ネオンの滲む街の中に歩いて行った。

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