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私が、この街に戻ってこようと思ったのは父の死がきっかけだったが、やはり自分はこの街が好きだったからだと思う。 東京での暮らしは、それほど悪いものではなかった。確かに満員電車の過酷さとか、車の渋滞とか、人ごみの鬱陶しさとか数え上げればきりが無いが、楽しいこともまた多かった。 まずはナイターだろうか、かつて程人気の無くなったプロ野球ではあるが、夏の宵ビールを飲みながら気に入ったカードを見る楽しさと爽快さは、球場を持たない地方都市にあっては、まずもってなかなか望むことの出来ない贅沢というものであっただろう。 それに私の最も足繁く通う場所である本屋。東京は日本で最大の都市であるから、本屋の数や大きさもまちがいなく日本で最大なのであろうと思う。 そうして、あちこちで開催される様々なコンサート。金さえ払えば、どんなコンサートでも見ることが出来た。東京は、ありとあらゆる文化的な欲求を満たしてくれるところであった。 しかもそればかりか、古くからの伝統の美しさをも残しているのが東京の姿であった。下町に行けば歴史のある古い町並みを見ることが出来た。日本人としてなんともいえない哀愁を感じると共に常に憧れの場所でもあった。 夜の煌びやかなネオン街は、東京の最も際立ってこわく的な場所であろう。 だから、東京の魅力を数え上げればきりが無いのもまた事実であった。 それでも、私は北国のどこといって変哲のない地方都市であるこの街が好きだった。地方都市とはいってもそこそこの大きさであったから、夜の繁華街だってあるし、それなりの華やかさもある。もちろん、自然には事欠くことはなかったし、北海道特有の人々の気質の大らかさというものも、自分にとっては心になじんで極めて居心地の良いところであった。 そうして、子供時代からの思い出のいっぱいつまった所だから、故郷と云う懐かしい響きが似合った。それに、古くからの親友の住む街でもあったのだ。 私が、この街に戻って来ると妻に話した時は、思っていたとおり反対された。約束が違うからだった。 確かに、結婚する時は、故郷に帰るつもりはないと私は云っていたのであった。妻の故郷は九州であったから、北海道に行くことになれば故郷はずっと遠くなってしまうのである。 だが父が亡くなって、母がひどく寂しくなってしまった。そのことで、どうしてもUターンをしたいのだと妻に話しをした。しかし、本当は自分が帰りたいだけなのではないのかという自問自答には、正直なところ自分でもはっきりした答えをすることが出来なかった。 切り札は、こうだった。故郷に戻れば家が持てると。東京に住んでいては、一戸建ての家を持つなど夢のまた夢であった。 それに北海道に行けば、美味しいものが沢山食べられるのだと、さんざん吹聴して説得にあたった。 その甲斐があって、妻の心も動いた。そうして、結局この街に戻ってくることになったのだった。 仕事は、知人の伝手を頼って燃料関係を扱う会社のこの街の営業所に勤めることになった。収入はずっと少なくなったが、それなりに暮らせば、この街ではそこそこの生活をしていけるはずであった。 私がこの街に戻って来て母に最初にするように云われたことは、町内の人たちへの挨拶であった。二軒両隣はあたりまえのことであろうが、特に町内会の役員の方々によく挨拶をするよう念を押された。私は学生の時までこの町に居たのであるが、町内会など意識したことはなかった。元々母は父と同様、義理堅い人間であった所為かもしれないが、今になって思えばそれは母の親心であったのだと思う。地域に根付いて私に幸せな生活をして欲しい、そう願っていたのだと思う。 東京では、特に仕事関係以外の人間との付き合いは少なかったと思う。こちらに戻って来て町内会などの親睦会で飲むと、仕事を離れた付き合いで飲むことの楽しさを覚えた。それは、気の置けない友人と飲むのに似ていた。まったく同じとは云わないまでも、相通ずるところがあるように感じられた。 瞬く間に十年の歳月が流れ、その間に母は亡くなり私は、私は町内会の副会長になっていた。 その連絡が入ったのは、少し遅い朝食を終えて新聞を見ている時だった。その日は祝日で私は、居間でくつろいでいた。電話の主は町内会長の里谷であった。 「やあ、高井さん?」 「ああ、どうも、いつもお世話様です。何か?」 「実は、町内の清田のばあちゃんが亡くなったんだ」 「ええっ、ついこの間まで元気だったのに」 「そうなんだよな。たしかに、ここのところ顔は見かけてなかったんだけど。明日通夜で明後日告別式なんだ」 「そうですか」 「それで、これから打ち合わせをしたいんだけれど、出て来れるかな?」 「ええ、大丈夫ですよ」 「実は私はまだ家なんだけど、これから会社に向かうから、そう三十分後位になるだろう、十時に部屋に来てくれないか」 「分かりました、その時間に伺います」 彼の云っていた会社というのはホテルのことで、彼はそこの社長だった。 |
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