HOME > 小説の森 > いちいの木のある家 > 三 夜の散歩
 私が、夜の散歩を始めたのは、昨年の暑い盛りを少し過ぎたころであったと思う。
 当時私は、様々なめぐり合わせから仕事の方が行き詰っていた。なんとかしようと、頑張ってはみたものの努力と結果が噛み合わなかった。帰宅も遅くなって、妻との感情のすれ違いが大きくなっていった。ストレスが溜まり酒の量も増えた。気持ちの空回りとはこのことであろう。負の連鎖の中でわたしは、もがいていた。
 どうしようもない塞(ふさ)がった気持ちで悶々とした日を送っていたが、ある日突然散歩をしてみようと思い立った。
 私の家は、中心街からさほど離れてはいなかった。北海道は昼は暑くても、夜ともなればそこそこ過ごしやすくなる。ましてや夜風が吹くと、これは結構快適であった。
 散歩といえば、辺りの景色を眺めるということが楽しみのひとつであると思う。ならば、夜の散歩ではなんの楽しみもないのだろうか。

 私はそうではなかった。私は繁華街の通りを抜けていくのを決まりのルートにした。そうして、街外れの書店を終点にした。
 私の住むこの街の夜の繁華街は、都会のようにギンギンしたところはなかった。言い方を替えるならば、華やかさに欠けると云えなくも無いが、かえって私はその夜の街に風情を感じた。
 私は学生時代をこの街で過ごしていた。通りすがりにただよう焼肉の煙や魚の焼く匂いは、私に当時の楽しかった思い出を蘇らせてくれて、ささくれ立った心が多少なりとも慰められた。
 歩いていると、時折ご機嫌な酔客とすれ違ったりもする。あるいは、扉の向うからカラオケの音が漏れ聞こえてきたりする。そんな繁華街を抜けると、店もまばらになって静かな通りになる。そうして、件(くだん)の書店に足を踏み入れると一気に明るい光の中に入る。そこで私は、何冊かの本を手にとって暫く時を過ごしてから、それからまた来た道を戻るのであった。
 歩きながら、ものを考えることもあるし、ぼっとしてただ歩いていることもある。私は、いつの間にか気持ちが落ち着いて幾許(いくばく)かの元気が復活するのを感じるのだった。

 そうして、私はこの散歩がすっかり気に入ってしまった。よっぽど仕事で遅くなるとか、何か外せない用事ができたとかでなければ、この日課を欠かさないようにした。
 そうして、繁華街に向かう時に町内を抜けていくのだが、その時清田のばあちゃんの家の前を通るのであった。平屋の小さな家屋であって、その前にはやはり小さいけれど庭があった。そこにはいちいの木が一本立っていた。いちいはちょっと松に似た木で、別名おんことも呼ばれる。秋になると赤くて甘い実がなるが、子供の頃はおんこの実といって良く食べたものである。その木はさほど大きくはなかったが、私はここを通るたび何とはなく、庭に面した窓からぼんやり漏れる灯りに浮かぶそのいちいの木に目を留めては、通り過ぎていた。

 昼でなければ見えないのだったが、庭にはいつも沢山の花があった。その花も、花屋で良く見かけるような今風の花はほとんど無かった。だからきっと、野の花も多かったのではないかと思う。それも、私がひどくその家に惹かれた理由なのだったのかもしれなかった。
 兎に角、私はとりたてて目立たぬこの家がとても気に入っていた。
 周囲には結構ビルもあったし、新しい家もあった。だが、この家のある一角だけは時の流れから取り残されたように、ひっそりとした空間であった。時折魚の干物が吊るしてあったり、秋には大根が干してあったり、今時見かけることのなくなった、懐かしく古い風景がそこにあった。昼間にその家の前を通ることも勿論あったが、庭先でくつろいでいるばあちゃんを良く見かけた。
 そうして、五差路の坂道に面した、その日当たりの良い家はまた風の通り道でもあった。私は散歩を続けるうちに、突然子供の頃、確かににここを通ったことがあると思い出した。その時は、坂の下から吹き抜けてきた風が私の帽子を空高く吹き上げた。そのことを思い出したからであった。

 夜の散歩は、そういうことでずっと続けていたが、不思議というほどのことでもないが、ちょっと妙に思うことに出会うことがあった。それはなぜかいつも繁華街からの帰り道であった。
 ある晩、突然私の目を前をひどくすばやいもの達がよぎった。そうして街路樹によじ登ると私をじっと見下ろしていた。目を凝らすとそれは猫達であった。一匹や二匹ではなかった、暗くてよく見えなかったが少なくとも五匹以上はいたのだろうと思う。随分の数だった。その猫たちは家の方から走り出てきたようなので、初めばあちゃんが飼っている猫なのだろうかと思った。
 しかし、昼に猫を見かけたことはなかったし、ばあちゃんが猫を飼っているという話しを聞いたこともなかった。私はなぜかそのことが気になった。
 なにかの折にばあちゃんに猫たちのことを直接聞こうと思いつつ、結局二度とそのことを訊ねる機会を失ってしまっていた。
 そうして、その猫たちは何度か、私の前に現れていた。

 町内会の集まりは、ほとんど休んだことのない清田のばあちゃんだった。
 彼女は、ひどく小柄でそうしてばあちゃんという言葉が、この上なく似合う人だった。時代が変わった所為か、あまりおばあさんとかいう言葉が相応しく感じられないのが最近の年寄りであろうか。元気で若いというのが、最近の年寄りのキャッチフレーズのように思えてならない。
 だが、彼女は違った。決して派手な服を着ることはなかった。そうしていつもにこにこしていて、時折口をひらいてもはにかんだようなものの言い方をする人だった。昔は、このようなおばあさんが、どこにでも居たような気がする。
 どんな人にも若い時があったはずであるが、私にはどうしても彼女の若いときの姿を想像することができなかった。
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