HOME > 小説の森 > いちいの木のある家 > 五 不思議なこと

 社長室であった。
「ところでな、哲夫」
 会長が云った。
「清田のばあちゃんは、いつ頃ここに来たか覚えているか?」 
「それが、さっきから考えているんだけどどうしても思い出せないんだ。気が付いたらそこに居るというような感じなんだな」
「皆に聞いても不思議とそう云うんだよ。でも俺だけは覚えているんだ。それは、俺が結婚した年だからだよ。いろいろ準備があって結婚ってこんなに大変なものなんだと思ったことと、ばたばたしていた最中にあの家に見慣れない人を見かけたのを覚えているんだ。だからそれが最初だと思う」
「そうか、里谷君が結婚した年か」
「ところが、今俺はとんでもなく妙なことに気がついたんだ」
「なんですか、それは」
 私が、聞いた。
「清田のばあちゃんって、何か本当にばあちゃん、ばあちゃんしているだろう。俺が始めてみた時もばあちゃんだった。その時から変わっていなような気がするんだ。それで数えてみたんだ、そうしたら二十五年も経っているんだぞ。いくらなんでも、そんなことってあるか?」
「そういわれてみれば、確かに俺もあのばあちゃんの今の記憶しかないぞ。若かったばあちゃんを見た記憶が無い!」
 哲夫さんが答えた。
「そんな馬鹿なことはないんだろうけど、ずっとまったく変わらないように見える。実際には、ほんの少しは変わっているはずなんだろうけど、我々が気づかない位ということにしても、やっぱり不自然だ」
 そのことには、私も同感だった。私が戻ってきたのは十年前になる。だが、確かにその時から彼女は変わっていなかった。そのことは、自信を持って云える気がした。

 いっとき、三人の間に沈黙が流れた。それぞれの胸の裡で、彼女の思い出が去来したのだろうと思う。
「そう考えると不思議なばちゃんだったが、いつもにこにこしていい人だったな」
 会長が云った。
「これで、町内会も少し寂しくなりますね」
「そうだな、でも、仕方の無いことだね」
 私が云うと、沢崎がそう応えた。
 私は、カップの底に残っている冷たくなったコーヒーを飲み干した。そうして、ふと気になって聞いてみた。

「ところで、清田のばあちゃんは猫を飼っていたんでしょうかね?」
「そんなことは、聞いたことがないよ。どうしてだ?」
 沢崎が聞いた。
「いいや、散歩する時、夜なんだけど時たま、猫を見かけたもんで」
「ばあちゃんは、良く魚の干物を作っていただろう。その匂いに引かれてきたんじゃないか」
 そう云ったのは、会長だった。
「そうかもしれませんね」
 しかし、そういった私は納得していなかった。干物は、箱のような網の中に入れてあって猫は絶対取ることが出来ないようになっていた。いくら猫でもそれくらいの学習能力はあると思う。それに、私が猫を見かけた時は、魚が干されていなかったと思う。

 私は、もしかしたら彼女が時折その猫たちに、干物を与えていたのかもしれないと思った。それと、なぜとは云えないが、猫達は逆に彼女を護っていたのかもしれない、そんな気がしてならなかった。

「それじゃ、忙しいところ悪いが、明日と、明後日よろしく頼むよ」
 私は社長室の重い扉を開けた。外に出ると、沢崎と私はその家をもう一度見た。忌中の簾(すだれ)が風に揺れていた。

「また、町内に誰か入ってくるといいですね」
 私が云った。
「そうだよな、きっとまた誰か来るんだろうさ」
 沢崎の家の前で、私達は別れた。

 葬儀は、無事終わった。
 私はそれからも散歩を続けている。
 いちいの木のある家は、まだ空き家のままだった。いつか誰か、入るのだろうか。そう思いながら私はその家の前を通り過ぎていた。

 思ったとおりであったが、それから私はあの猫達を見かけることはなかった。

<完>
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