HOME > 小説の森 > 居酒屋 > 第三話  カマキリ

 年の瀬が迫ってきた街はなんとなくある種の活気に満ちていた。それに倣って、夜の街並みも華やかさが増しているように感じられた。平日であったが、冴子の店の『遠野』は盛況であった。

 冴子は、スミと一緒に立ち働いていた。料理が立て込んでいたからである。
 その時、二人の男が暖簾をくぐって入ってきた。その男達を見た客は、一瞬声を潜めた。
 初めに入ってきた客は、痩せてひどく目つきの鋭い男であった。その後に続いて入って来た男は、体ががっしりとして大きかった。二人の客はどう見ても堅気の客には見えなかった。
 カウンターは、満席であった。後から入ってきた男が店の中を一瞥すると、冴子に小上がりを使うと云った。低く、威圧感のある声音であった。
 丁度というか不運なことにというべきか、先程客が引けて小上がりには一組の客が居るだけであった。
 冴子はスミに目配せしてから、その二人を空いてる卓へと案内した。
 冴子は、その二人は筋の者に違いないだろうと思った。なぜこの店に来たのか、おそらくただ立ち寄っただけなのだろうとは思ったが、トラブルを起こさなければ良いが、そう思った。なぜなら、若い方の男、痩せているほうであったが三白眼の目が据わっていた。嫌な予感がした。
 だが、店はひどく忙しかった。だから、いつの間にかそのことは忘れていた。

 二人が座ると、店の中はすぐに賑やかを取り戻し客の会話も大いに弾んでいった。
 それから間もなく一人の男が戸を開けた。その客が入って来た時、冴子は妙にその男に目をひきつけられた。この店を始めて間もないから、新しい客が多いからそれなりの初印象というものがあるのは当然のことなのだろうが、それにしてもその男の姿は一風変わっていた。今時はもう見かけることの無くなった、黒いマントを身に纏(まと)っていたのである。

 相変わらずカウンターはいっぱいであったし、スミは手を離せそうになかった。だから、冴子はその男を小上がりの一番奥の小さな卓のところに案内した。
 その男はマントを脱ぐと、品書きに見入った。改めて、冴子はその男に姿に目を走らせた。髪の毛を短く刈り上げて、浅黒く引き締まった顔つきをしている。背は高くなかったというより、小柄なほうではなかったろうか。顔つきは穏やかであったが、目の色が強かった。そうして、表情の読み取りづらい、年齢のはっきりしない男であった。
 男は、ひとしきり、眺めてから、いくつかの料理を注文した。それから、こう続けた。
「女将さん、熱燗を頼むよ、でも急いでいるわけじゃないから、後で声をかけるよ」
 冴子は妙な物言いをする客だと思った。普通の客であれば、時間のかかる料理はさておいても、とりあえず飲む物はすぐにでも持ってきてくれというのが普通であった。
 丁度注文が立て込んでいる時でもあったので、冴子は「ごゆっくり」と声を掛けるとそそくさとカウンターの中に戻った。
 帰りしな、気になって先ほどの二人組みを見ると、痩せた方の男が、隣の若い男をつかまえてなにかしきりに話しこんでいた。体の大きな方の男は、黙って酒を口に運んでいた。何事もなさそうで、冴子は、ほっとして引き上げた。

 しばらくして、突然、その小上がりのところから大きな声が響いた。
「おい、若造、そのもの云いはなんだ、ふざけるんじゃねえよ」
 その声に、店中の客が振り向いた。
 痩せた男が隣の卓の若い二人連れに食って掛かっていた。その男に絡まれた若い男は相当酔っ払っているようであった。何か、云ってはいるが、もうろれつが回っていない。連れの男は、ただ、おろおろしているばかりであった。痩せた男は、立てひざになって若い男の襟を掴んでいた。若い男は、すみませんというようなことを、云っているがはっきりした言葉になっていない。
 そのことが、かえって痛々しかった。店の中は凍りついて居た。

 冴子は、なんとかこの場を納めなければならないと思った。
 小上がりの二人の前に手をついた。痩せた男は、襟を掴んでいた手を離した。
「お客さん、何があったか知りませんが、ここは皆さん楽しく飲んでくださるところです。その手を離して、飲み直しをしていただけませんか、私どものほうから一本お付けいたしますので」
「ふざけるな、こいつは俺をコケにしやがった。少し位、痛い思いをさせるのは当然だろう、女将さん。そうですよね、兄貴」
 兄貴と呼ばれたその男は言葉をかみ締めるようにこう云った。
「そこの若い兄さん、えらいことをしてくれたもんだな。そいつは先日、務所を出たばかりなんだ、だからもうそこには送りたくなかったんだよ。まったくとんでもないことをしてくれたもんだ」

「いったいどんなことを、その方がしたのですか」
 冴子が必死の様子で物言いをした。その男は突然大きな声を張り上げた。
「どんなことしただと、そいつが、俺の弟分をなめやがって、ふざけたことを云いやがったんだ」
 そうして男は、急に声を低くした。
「でもなあ、あんたこの店の女将だろ。だから、この場を収めるつもりがあるなら、そうだない、店が退けてからでもいっぱい付き合わないか、そうしてくれるなら俺にも考えはあるさ」
 冴子は、唇をかみ締めた。汚い奴らだと思った、彼らの言い分を聞いても、聞かなくても店には瑕がつく。
 兄貴と呼ばれた男は、冴子の目をじっと覗き込んだ。
 店の中は、しんと静まり返ってその行方に固唾をのんでいた。

 その時、奥に座っていた件の男が話に割ってきた。
「兄さん達、女将さんがせっかく一本つけるといっているのだから、それでひとつ酌をうけて気持ちを収めていただくわけにはいきませんか。女将さんは店もあるし、せっかくの楽しい酒ですから」
 兄貴の目が件の男を捕らえた、その目が細くなって、怒りを膨らませたことが分かる。
「おう、あんたいい度胸だな。ここを仕切るつもりかい。よけいなことをして、痛い目をみるのが落ちというところになるんじゃないのか」
 物言いは柔らかかかったが、声には不気味な威圧感があった。
「どうでしょうか、私がちょっと面白い手慰みを、お見せします。もしもそれが気に入ったら、気持ちよく飲み直してもらえませんか」
「だがな、気に入るとは限らないぜ」
「見てのお楽しみとなりますが、必ず気に入っていただけると思います」
 件の男は自身ありげであった。
 兄貴は、興味をそそられたようであった。というより、その男の話を受けなければ、収まりが付かなくなっていたのも、事実だった。
 「それじゃ、やってみな」
「ところで、兄さんは何か苦手なものなどありますか?」
 そういうと、件の男は兄貴の目をじっと見据えた。
 その兄貴と云われている男はいぶかしげな表情をした。その男の魂胆を諮りかねているようだった。ほんの僅かばかりの沈黙の時が、件の男と、体の大きな男の間に流れた。

 それから件の男は、突然右手の拳を二人の前に突き出した。それからその拳を、ゆっくり右に回転させた。握った指が上を向くと、静かに手を開いた。
 その手の平の上で、確かに何か小さなものが動いていた。良く見ると、それは小さな虫のようであった。冴子たちは、それをじっと覗き込んだ。
 件の男の声が、ぼんやり聞こえた。
「いいですか、随分小さな虫ですね。でも、兄さん達ようく見ていてください。だんだん姿がはっきりしてきますよ」
 すると、不思議なことにその虫は、手のひらの上で少しずつ大きくなっていった。
「これは、カマキリだわ」
 思わず冴子が声を上げた。
 すっかり大きくなった、それは、兄貴を擬視していた。そうして前脚を揚げて攻撃態勢をとると、突然手のひらの上から掻き消えた。

 そのことを見ていた、全員が言葉を失っていた。

「いかがでしたか」
 件の男の声で、皆が我に返った。
「ご不満でしたら、いくらでも増やしてご覧にいれますが」
 兄貴と呼ばれた男は、信じられないものを見た驚きに、目を大きく見開いて顔をこわばらせていた。やがて、息をつくと、こう云った。
 「確かに、面白いものを見せてもらった」
 その言葉に、冴子はほっとした。
「それでは、お約束どおり、一本お持ちいたしますよ」
 冴子が云うと、兄貴は遮るように云った。
「いや、待ってくれ。俺は気が変わった、おい兄さんよどうすればいいんだ?」
 兄貴と言われた男は、件の男の目をじっと見つめた。
 冴子は、思ってもいなかった展開に、胸が痛くなる思いであった。どこまで、汚い奴らだろう、胸の中でそうつぶやいていた。
「女将さん、兄さんは気が変わって、お酒はいらないそうです。それでは、残念なことですから、お勘定だけでも、店でもたせていただいては如何でしょうか」
「ええ、それでよろしければ」
 冴子にはそれ以外の答えようはなかった。
 兄貴は、先ほどまでの落ち着きをとりもどしていた。件の男に、一瞥をくれると
「それにしても兄さんよ、カマキリとはまた季節外れの酔狂なものを見せてくれたものだ。まあ、俺は満足したけどな。あんたのことは忘れないよ、だが、もうきっと会う事はないだろう」
 そう云って男は立ち上がった。
 痩せた男は、不満そうな表情を見せたが、それでも黙って彼の後に従った。
 二人の男が店から消えると、店の中に喧騒が蘇った。
「ところで女将さん、ようやくだが、熱燗を頼むよ」
 件の男が笑顔を見せながら云った。
 カウンターの端の席が空いていた。
「兄さん、よかったら、カウンターの席にどうぞ、料理のほうは私がお持ちいたしますので」
 冴子は、この男と話をしたいと思った。

 件の男は、旨そうに酒を呑んでいた。
 ようやく手の空いた冴子は、その男に声を掛けた。
「お客さん、先ほどは。本当にありがとうございました。お陰でお店の方も何事も無く助かりました、何とお礼を申しあげてよいか」
「とんでもない、勘定のことでは、店に迷惑をかけてしまったようだが」
「いえ、そんな事くらい、なんのことはありません。それより、先ほどのカマキリはどうやって出したんですか? 私はあんな不思議なものは見たことがありません」
「なあに、さっき云った様に、ちょっとした手慰みです。私は趣味で手品を遣るんですよ」
 しかし、冴子はどうしてもあれが、手品とは思えなかった。仮に手品としても、シロウトの行うようなレベルのものではなかった。
「女将さん、手品というものは、タネを明かしちゃ艶消しというものじゃないでしょうかね」
 巧みに、話を逸らされた気がしたが、それ以上どうこう云うのは、たしかに無粋というものかもしれない、冴子はそのことの話は終わることにした。

「ところで、ほんのお礼の気持ちですが、今日のお客様の勘定はこちらで持たせていただきますので、どうぞごゆっくりしていってください」
「そんな気遣いはいいんです。私はあの男達のやることを見て、若いあれは学生さんですかね、かわいそうにと思っただけなんですよ」
「いったい、どんな成行だったんですか」
「最初は、まあ親しげに話しかけて、酒を注いでいたんですよ。そうして、おだててどんどん呑ませて、その客がもう呑めないというと、俺の酒が飲めないかと突然凄んだということです」
「最初から、そのような考えがあったんでしょうか」
「そうなんでしょうね。おそらく、お店か女将さんに、何か魂胆があったのかもしれないですね」
 改めて、冴子はこの男が居てくれてよかったと思った。
「でも、またこの店に来ることはないでしょうか。そうしたらどうすればいいのかしら」
「もう来ないでしょう。さっき、あの男はもう来ることはないだろうと云っていたと思います」
 そういうと、件の男は自信ありげな微笑を女将に向けた。
 「それより、女将さん。勘定のことは本当に結構です。ただお気持ちがあるのなら、ひとつ聞いて欲しいお願いがあるのですが」
 そういうと、件の男は、女将の目を見据えた。
 冴子は、この男はいったい何をいいだすだろうと、興味をひかれて思わず耳をそば立てた。

「たいしたことでは、ないんですよ」
 件の男はそういうと言葉を続けた。
「女将さん、煮凝りって知っていますか」
「母から、教わって作り方くらいは知っていますが」
「それは、よかった。ここの突き出しはとても美味しかったんですが、そこで急に煮凝りが食べたくなったんです。自分はこちらに居る間ずっとこの店に来ます。出来ればその突き出しに煮凝りを出してもらえないかなと思ったんです」
 冴子は、思いもかけない要望に驚いた。しかし、今の季節には良い突き出しかもしれないと思った。
「明日には間に合わないかも、しれませんが。わかりました、そういたしましょう」
 それにしても煮凝り? 今時は、珍しい料理には違いない。なぜ、この男はこのことを私に頼んだのだろう。冴子は不思議に思った。

 手の空いた時々、件の男と冴子は言葉を交わした。そうして、その男は今はS町に住んでいること、息子夫婦がこの街に住んでいること、そうして知人の息子の結婚式があってこの町に来たことなどを語った。

 桐嶋道弘は、出された水割りで乾杯するとまずは一気に飲んだ。紹介されたスナックだけあって、店は凝った造りであった。インテリアにはかなり金をかけているに違いないのだろう。地方都市のスナックにしては、上等な部類に入っていた。
 向かいの柴田の隣には若い女がついていた。自分の隣には、ママが座っていた。なかなかの美人であった。
 しかし、道弘は先ほどの居酒屋の女将と比べてどうだろうと思った。やはり、女将の方が好い女だろうと思った。だが、ここのママは若い。
 先ほどの酒はケチがついた、今夜はこれから呑み直しをしようと思った。

「兄貴、ところでさっきの店ではなぜおとなしく引き下がったんですか」
 柴田がたずねた。
「さっきの芸当は、そんじょそこらで見られるものではないだろう。それにな、俺達のことを承知して声を掛けてきたんだ、酔っ払った勢いじゃなかったよな。そうだろ」
「はあ」
「ということは、何かの魂胆があってのことだろう。だだの見世物屋とはかぎらない。まずないとは思うが、私服刑事かもしれないし、あるいはそんなところの関係者かもしれない。相手のことが読みきれないのにただ凄めばいいってもんでもない。ある程度、俺達の顔をたてたろ、そこのところが問題だったのさ」
 柴田は、一応の納得をしたようであった。
 だが、桐嶋は本当は、別のことを考えていた。確かに不思議な見世物だった。しかし桐嶋が本当に驚愕したのは、その虫が「カマキリ」であったことである。
 実は、だれにも話したことがなかったが、桐嶋の唯一の苦手なものが「カマキリ」であった。ヤクザが、虫を怖がるなんてシャレにもならないが、桐嶋は「カマキリ」には説明のつかない怯えと嫌悪感を懐いていた。
 あいつは、俺の心を読んだのだろうかと思った。だからその後「どうすればいい」とあの男にカマをかけたのであった。その時、桐嶋は心の中でこう思っていたのだ。
「確かに、結構な見世物だった。ここで酌を受けても良いが、それじゃ俺達の顔が立ちづらい。兄さんよもうちょっと俺達の顔が立つように考えてくれないか。それとも、俺の考えが読めないなら、俺は仕切り直しにするつもりだ」
 だが、あいつは、見事に自分の考えに対応したのであった。改めて、桐嶋はそのことに戦慄した。

 よくヤクザは「裏」家業と呼ばれることがある。しかし、もっと得体の知れない者たちも世の中にはいるのである。
 桐嶋たちは彼らのことを「陰」の男たちと云っていた。所謂「呪」を扱う者たちである。このことは、組の上層幹部のごく一部のものだけしか知らないことであった。
 まさか、この街で彼らと出会うことになるとは思ってもみなかった。彼らと、遭遇することは極めて稀なことであった。
 なぜなら、彼ら自身は普段は、身を潜めて見立たなく生きているからであった。しかし、彼らが姿を現したということは、何かの理由があったはずである。自分達は、運悪くそこに出会わせてしまったのだろう。

 彼らのことは、あるとき会長から直接聞いたことがある。その時は、そんな男達がいるのか、半信半疑であった。いろいろな、不思議な話を聞かせてくれたが、そうして会長は最後にこう云った。
「たとえば、山道を歩いていたとしよう。その道の先に蛇がいたらどうする。そこは今蛇のテリトリーということになるが、だまっていれば、向うから攻撃をしかけてくることはない。だから、通り過ぎるのを待つか、迂回するのが賢い方法だ。けっして面白半分に手を出してはいけない」
「そうなんですか」
「彼らは、普通の人間ではない。だから、ことを構えると、手ひどい被害をこうむることがある。普通には、陰には陰で対抗するしかないのさ。それは、ずっと昔からそうだったのさ」
「実際、今でももそんなことが行われているのですか?」
 桐嶋はそう聞かずにいられなかった。
「お前の知らないことは沢山あるのさ。まあ、まだお前はそのことは知らなくていい」
 そう云って、会長は唇を歪めて声を出さずに笑った。

 桐嶋が、北海道のこの目立たない地方都市に来たのは訳があった。いわゆる、暴力団と呼ばれる組織は全国津々浦々までひろがっている。だが、この街はチンピラといわれるような者たちがいないわけではなかったが、いわゆる無風地帯で組織の手は入り込んでいなかった。だが、対抗する組織がこの街に進出するという噂が流れた。その、調査の為に送り込まれたのが桐嶋であった。
 あの居酒屋に行ったのは、好い女がいると耳にしたからであったが、ちょっとした気まぐれにすぎなかった。あそこで、ごたごたを起こしたのは、この街への挨拶代わりの小手調べのつもりであった。
 そこで、思わぬ存在と出会うことになったのであった。だが、彼らに出会ったということは、この街は何らかの理由で彼らのテリトリーであることをメッセージとして受け取ったことになる。彼らは桐嶋達にこの地に足を踏み入れて欲しくないようだった。それはうちの組織ばかりではなく、相手の組織に対しても同様のはずであった。なぜなら、普通彼らは絶対といっていいほど、それと分かるような姿の現し方をすることはなかった。あえてそれをしたのだ。そのことを理解できる自分の前に現れたのは決して偶然ではなかったはずだ。
 だからそのことは却って、相手の組織の動向もそれほど気にする必要が無いとい言う事なのだろうと思った。いずれにしても、今後のための連絡係りの渡りは、こちらに来て既につけておいた。自分の役目はここまでだろうと思った。

 だから、おそらくこの街を訪れることはもう無いだろう、そうして明日は、このことを会長に報告しよう、桐嶋はそう思った。

HOME目次前頁次頁