HOME > 小説の森 > 居酒屋 > 第五話  謎の屋敷

 暖簾を、くぐると女将の冴子が迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい、川崎さん。ここのところ姿が見えないからどうしたのかなと、思っていたのよ」
「いや、仕事の方も、なんだかんだと、ちょっと、忙しかったものだから」
「それは、結構ね。ご一緒のかた、初めてですわね」
「ああ、僕の古くからの友人なんだ。今日会ったのは、八年ぶりになるんだ」」
「新井といいます、よろしく」
「ようこそ、ごゆっくりしていってくださいね」
 私は、しがない定年間際のサラリーマンであった。
 新井典弘とは、小学校時代からの付き合いになる。同じ地元のK工業大学を卒業していたが、彼は今、神奈川に住んでいる。彼の両親は、元々はこの街に住んでいたのだが、その後、札幌に移り住んでいた。だが、その二人もすでに亡くなっていた。新井から、突然電話があったのは、つい一週間前のことであった。

「いい店だな、気に入ったよ」
 新井が云った。
「そういってもらえるとうれしいよ、とにかくここはくつろげるし、料理もいけるんだ。突き出しは、鰊の切り込みだな、お前はいけるか?」
「大丈夫よ、うん、旨い」
「それにしても、突然の電話で驚いたよ」
「そうだろうな、何せ、俺も定年のことまではあまり、深く考えたことはなかったからな」
 新井は、大企業に勤めていた。定年までは、まだ間があったが、役職ははずれ給与の大幅ダウンという現実が、目の前に突きつけられた。彼は、そのことよりも、抜け殻のように会社に身を置くことが、耐えられなかったのではないかと思う。早期退職制度というものが、あって、僅かではあるが、条件面の厚遇があったとのことだった。
「退職を決めてからさ、とにかく、まずお前に会おうと思ったし、この街に来たかったんだ」
「それは、嬉しいけど、家族の連中は何もいわなかったのかい?」
「連中には、一応伺いを立てる形をとったけど、まあ、行ってらっしゃいというこになった」
「そうか」
「それと、女将はすごい、いい女だな。おまえ、まさか女将が目当てじゃないんだろうな」
「馬鹿なことを云うな、おれが相手にされるわけがないだろう」
「確かに、そのとおりだな」
「おいおい、そんなに納得するなよ。それも、ちょっと寂しい話だろう」
 私が、そう云うと、新井は声をだして、笑った。久空振りの再会だが、彼の風貌は余り変わっていない。白髪は多少目立つようにはなっていたが、私から見れば、うらやましい限りであった。彼は、眼鏡を外すと、曇りをぬぐい始めた。
「まあ、まあ、現実を見つめろってことさ」
 新井となら、本音の話が出来る。確かに、彼の云うとおりだってことは、自分では、分かってはいた。私も、彼も、酒は好きであった。差しつ差されつ、呑みながら、最近の自分の心境とかやはり健康のことが、話題の種となった。
 だが、彼の話から、私たちは、一挙に、子供時代の記憶へと遡ることになった。
「川崎、前に、同級生の茜のことを、聞いたよな?」
「ああ、覚えているよ」
 かなり前のことになるが、電話で新井と話をしていたとき、同級生の小松茜のことを覚えているかというのであった。だが、私ははっきりと、彼女のことを思い出すことができなかった。彼が云う彼女のいろんなことが、云われればそうだったような気がするというような曖昧な記憶であった。小学校の六年の古い記憶であるし、私にとって、特別に印象が深い生徒ではなかったのだろうと、思う。だが、新井は、なぜか彼女にこだわっていた。
「彼女のことに関して、あることに気が付いた。今回の退職のことを機に、大掃除を始めたのさ。掃除といっても自分の家にある仕事関係の、本とか資料を整理することだったんだけど、当時の卒業アルバムが出てきたのさ」
「なるほで、それで?」
「不思議なことに、彼女の姿が見あたらないんだ。そればかりか、当時の文集だとか、写真や、あらゆる資料を調べても彼女の名前が見つからなかった」
「妙な、話だな。俺の茜の記憶は前にも話したように、曖昧だったけど、居たのは確かに間違いないと思うよ。たとえば、写真を撮った時休みだったとか」
「そういう場合は、端のほうに別に顔写真を載せているだろう?」
「そうだな、確かにそうだった。そしたら、やっぱり途中で転校してしまったとか」
「前に話したように、あの年、途中で転校した生徒は、いなかったと思うんだが」
「そうだよな、俺もそう思う」
「へんだよな」
「うーん、そうだな」
「実は、お前にこの話をするのは初めてなのだが、というより、他人に話すのは初めてだ。彼女についての、記憶を」
 そういって、話し始めた彼の話は、とても不思議なものだった。

 俺が、初めて茜を意識したのは、ある夏の夕暮れだった。

 それまでは、茜が同じクラスの生徒だということさえ、気が付いていなかったような気がする。今から考えると、それもおかしな話だが、実際そうだったんだ。川崎も知っていると思うけど、学校からは少し離れていて、古ぼけた屋敷があっただろう。口の悪い連中は、化け物屋敷だとか、幽霊屋敷だとか云っていたが、俺はそうは思っていなかった。俺は、学校帰りによく寄り道というか、遠回りをして帰ることが多かった。そうそう、お前も知っていたと思うが、正門はいつも閉ざされていたな。俺はいつもその屋敷の裏山を通って帰っていたんだ。そこの屋敷はぐるっと周りを木の塀で覆われていたよな。そうして、裏山とその後ろ側の塀の間に小川というか、沢があったんだ。そこには、ザリガニがいて、つまり俺の秘密の遊び場だったんだ。何度もそこに通ううちに、あるとき1箇所木の板が緩んでいて、中が見通せるところがあることに気が付いたんだ。好奇心にかられた俺は、そこから中を覗き込んだ。ばけもの屋敷だとか言われた所以というのは、木立がうっそうと茂っていたからなんだけど、その中に梨の木があることに気づいた。なんせ、りっぱな梨が、たわわになっていたよ。どうかして、それをとりたいものだと思った。誰もいないんじゃ、当然食べる者もいないだろう。それなら、ちょっと失敬してもかまわないだろうと思った。それって、今時なら窃盗にあたるけど、当時の俺は盗むなんてとはおもわなかった。ああ、どうしたかって? 忍者が使うような、縄梯子をつくったのさ。塀といってもそれほど高くはなかったから、ごく簡単なものだったよ。
 その日は休日だった。おれは、その手作りの梯子をかかえて、件の場所に行った。そうだな、時間は丁度三時頃だったと思うよ。そうして、首尾よく塀の上から、俺は生い茂った雑草の上に飛び降りた。俺は、梨の木を目指して歩き始めたが、ふと、おかしなことに気が付いた。右の奥に木のテーブルと椅子が置いてあったが、そこのところは、芝が綺麗に刈られていた。ということは、人が住んでいるのだろうか? 正直、おいおいと思ったが、ここまで来たんだから、何個か梨をもぎ取って急いで帰ろうと思った。夢中になって、取った梨を袋に入れているときだった。
「おい、なにをしているんだ」
 いや、そのときの驚いたのなんのって。振り向いたら、白髪の背の高い老人が、俺を睨みつけていた。最初、走って逃げ出すことも考えたが、それじゃ本当の、泥棒になっちゃうし、誰もいないと思って入ったのだから、梨を返してあやまれば、許してくれるだろうと思ったんだ。俺は訳を話して、必死にあやまったよ。その老人は、じっと俺の話を聞いていたが、君は正直にあやまったね。だから、今回はゆるしてあげると云ってくれた。顔をあげると、その老人の目は先ほどとはちがって、とてもやさしい目をしていた。
 そうして、その老人は、これからお茶を飲むんだけど、いっしょにどうかと云った。もちろん、俺は了解したさ。
 さきほどの、木のテーブルのところで、その老人と、連れ添いの老婦人と俺の三人で座っていた。出てきたお茶は、紅茶だった。俺のうちでは、そんな上品な、習慣など無かったから、随分かしこまっていた。
 そこで、俺はその二人と色んな話をした。俺は、学校や家での生活のことをいろいろ聞かれた。二人には、その話がとても面白かったようだ、請われるままに、友達や勉強のこと、好きな運動のことなど話した。逆に、俺のほうから聞いたことを、かいつまんで言うとこういうことだった。
 二人は、一年ほど前からここに住んでいること。老人は、画家で二階がアトリエになっていること。時折、孫娘が来るくらいで、訪ねて来るものもなく、普段は退屈していること。
 だから、よかったら、たまに遊びにおいでということだった。俺は、この二人との、話がとても楽しかったので、よろこんで同意した。
 だが、とその老人は真面目な顔になって云った。
「ここでのことは、決して誰にも、話をしないでほしい。自分達は、訳があって、目立たないように暮らしている。そうして、ここが気に入って、ずっと住みたいと思っている。だから、ぜひ約束して欲しい」
 そうして、じっと俺の目を、覗き込んだ。
「約束します」
 俺はそう、答えていた。
 老人は、取った梨をそのまま持たせてくれた。そうして、正門の脇のくぐり戸から、俺を送り出してくれた。外から見ると、木の陰になっていて、そこに入り口があるとは、いままで気が付かなかった。
 遊びに、来て欲しいときは、件(くだん)の梨の木にハンカチーフをしばりつけて、いると云った。俺は、相変わらず裏山を訪ねていた。なぜなら、その梨の木は、あの塀の隙間からでないと、見えなかったからさ。それから、雨が降らないかぎりは、ほとんど毎日ハンカチーフを確認しにいった。なぜなら、どうしても、遊びに行きたかったからだ。
 次の週のやはり休日であった、梨の木に、黄色いハンカーチフを見つけたときは、飛び上がらんばかりに、俺は喜んでいた。早速正面に回って、くぐり戸に手をかけた。約束どおり鍵は外れていた。
 玄関の戸には、カチカチと音を鳴らす、何て云うんだろうな金具が付いていた。当時、そんな戸は珍しかった、俺はその使い方を老人から教えられていたんだ。間もなく、婦人が戸を開けてくれた。俺は、部屋に入っておどろいた、なんというか調度品を含めて、要するに洋風だった。窓が大きいせいかとても明るかったんだが、薄い、紗のカーテンで、眩しくは無く落ち着いた雰囲気だった。老人は、二階のアトリエにいると、階段を教えてくれた。
 そこに、茜がいた。
 いまでも、そのときの光景を思いだすことが出来る。アトリエは、広くゆったりした空間だった。一階にくらべてずっと暗かったが、暗いというよりは柔らかな明るさといった方が感覚的には合うと思う。床は、木のフローリングで、ぴかぴかに磨き上げられていた。少し高い位置にある、横長の窓から、その床に斜めに、陽が指していた。
 そうして、正面の位置に、小さな机にひじをついた、茜がいた。老人のキャンバスには、その茜が描かれていた。ほとんど、完成していたのではないかと思う。そのときの、俺の感覚を、何て伝えたらいいのだろう。
 デジャブという言葉を知っているか、日本語では既視感というのそうだが、前にどこかで、経験しているという感覚さ。次に、彼女は、何を云おうとしているのか、俺は分かっていた。そのとおりだったよ。
「あら、やっぱり、新井君だったのね。そうじゃないかと思っていたんだ」

 実はその時さ、茜を意識したのは。

 そのとき、俺はこう思っていたんだ。あれ、こんな娘、同級生に居たんだっけ? 目がきらきらして、可愛いな。
 それから、俺は茜といろいろな話をしたと思う。なぜかって? 内容が思い出せないんだ。ただ、覚えているのは、老人が描いたいろんな絵をみせてもらったこと。ほとんど風景画だったけど、とても素晴らしかった。そのなかでも、鄙びた農家を描いた絵がもすごく気に入って、夢の中に出てきたくらいさ。それと、オジギソウを見せてもらった。俺はそのとき初めて、その植物を見て、触ると動くのには、本当に驚いたものだ。
 それからも、何度か、その屋敷に遊びにいったはずなのだが、なぜか思い出すことが出来ない。
 それと、茜と学校であっているはずなのに、あまり話をした記憶がないんだ。そうして、学校ではなんとなく悲しそうな顔をしていた気がしてならないんだ。そう、思うようになったのは、最近なんだけどね。

 私も、彼と似たような思いに捕らわれていた。その茜という生徒が、同級生だったような気がするのだが、いざ思い出そうとすると、どうしてもはっきり思い出すことができない。

 それが、彼の話であった。

 店は、賑やかだった。私は、新井に酒を注いだ。
「たしかに、不思議な話だな。ところで、何年前だったかな、高校時代の同期会があったんだ。おまえは、神奈川だから来ることは出来なかったけど、俺は出席したんだ。覚えているか、小林と前田。あいつらも、小学校の時の、同級だったろ。俺は、あいつらに、茜を知っているか聞いたよ。そしたら、小林は知っているといったが、前田はそんな、同級生はいなかったと言い張るんだ。どう思う? ああ、それと以前に野村綾子、彼女にも聞いたことがあるが、知らないと云っていた」
「それ、どういうことなんだ」
「話を聞いてうちに気が付いたんだ、要するに、お前、俺、小林そして前田と野村。何か気が付かないか?」
「もしかして、俺の友達?」
「そうさ、前田と野村はお前とは親しくはなかった」
「お前が、その老人と話をしたとき、その二人の名前は出てこなかったに違いないだろ?」
「確かに、そうだ」
「俺は、記憶ってのは不思議なものだと思う。その記憶が、絶対事実だったのかといわれると、最近は正直あんまり自信をもてないことがある」
「そうだよな、記憶ってのは、もともと曖昧なところもあるしな」
「実は、おれは一歳のときの記憶があるんだ」
「えっ」
「問題は、何で一歳とわかったかなんだが、写真をとられるのがいやで、だだをこねていたんだ。ところが、小さなバッグを渡された、おれは、何が入っているんだろうと思って、一生懸命中を探っていたんだ。その間に写真を撮られていたんだな。その写真をみて、俺は一歳だったと分かったんだ」
「なるほどな」
「ところが、そのことは、間違いないことなんだが。後でそれが、本当に直接的な記憶といえるのかな、ということもちょっと疑問を持ったんだ。つまり、どうも俺は、その当時の記憶を夢の中で思い出して、その夢の記憶が、現在の記憶の中に刷り込まれたのかもしれないと考えるようになった。まあ、どうでもいいことかもしれんが。もしかしたら、自分達が記憶だと信じているものの、幾分かはそんなものかもしれん。そういう言い方をすると、おれたちは、一緒の夢をみたのかもしれない」
「ああ、そうかも、しれない。でも俺は、確かに茜に会っていると思う」
「それは、俺も事実だと思うよ」
「彼女は、何者だったのだろう」
「わからん、それでいいんじゃないか。思い出だけでもあれば」
「そうだな」

 もうすこし、このことに付いて、話したい気持ちも無くはなかったが、俺達はちょっと物思いに耽った。
 女将が来た。
「お話終わりました。なにか、つくりましょうか?」
「ああ、頼むよ。それと、熱燗もね」
 記憶も不思議なことだが、今ここにこうして居ることも、考えようによっては不思議なことかもしれない、私はふと、そんなことを思った。
 お気に入りの居酒屋で、新井と楽しい酒を呑んでいる。今度は、いつ会うことができるのだろう。
「ま、とにかく、これからも頑張ろうな」
 新井が云った。
 そうして、今日二度目の乾杯をした。

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