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第六章 社にて
駐車場は空(す)いていた。達彦は車を勢いよく乗り入れた。二人が車から降りた場所は、芝生が広々とした公園であった。車から降りて、達彦が、ほらと言って指を指した先には思い出の社(やしろ)があった。
「あら、随分開けたのね、でも社は昔のままみたいだわ」
「立て替えてはしているはずだけど、ほとんど変わっていないんじゃないかな」
ふたりは、社に向かって歩いていた。階段は新しい石材で敷き詰められていた。
「懐かしいわ」
「佳子さん、そこに座っていたんだよね」
佳子は、当時の記憶が蘇ってくるのを感じていた。その時は、自分はこの世でひとりぽっちだと思っていた。しかし思いもかけない人間が突然自分の前に現れた。それが、今自分の前にいる達彦であった。昔と変わらず達彦を好感はしているが、今の自分にはなんの屈託もなかった。そのことが、とても心地よかった。
「ねえ、せっかく来たんだから、お参りしていきましょうよ」
達彦は、頭を下げながら、佳子はいったい何をお願いしているのだろうと思った。それより自分はなにをお願いするのか迷ったが、突然であったから結局気持ちはまとまらなかった。だから、ただ、佳子と再会できたことに感謝した。
佳子は、なにもお願いはしてはいなかった。それは、ただお礼がいいたかっただけであったからである。今の自分は、幸せであった、だからこれ以上の幸せを望むことが怖かった。しかし、誰でもそう思うように、これから自分がどうなって行くのだろうかという漠然とした気持ちの頼りなさがあった。だから、護(まも)って欲しいという想いは気持ちの中に強くあった。
そうして、その後、どうしてこんなに親しく達彦に声を掛けてしまったのだろうと、僅かばかりの後悔の念を感じていた。昔の達彦とは、面識があったにしても、今ここにいる達彦は初対面も同様であったのだ。
佳子が行きたいといっていたラーメン屋はここから歩いても程ない、二人は肩を並べて歩き始めていた。
「残念ながら店はもうなくなっているはずですが。いまはレストランがあったはずです。もしかしたら息子さんか娘さんがいてその店を継いだのかもしれないとは思っているのですが」
佳子はその場所さえ見ることが出来たら、それでいいと思っていた。達彦にも会うことが出来た、そうしてあのラーメン屋だったところを訪れることで、自分はそこから新しい出発が出来るような気がしていた、
ここがそうですと、達彦が言った。それは洒落たレストランであった。入り口には『銀の鍵』と書かれていた。自分達がかつて入ったことのあるラーメン屋の面影はまったくなかった。
「どうですか、コーヒーでも飲んでいきますか。後のことを欲張らなければ時間は大丈夫だと思いますが」
「そうね、ぜひそうしたいわ」
二人が席に就くと、細面の女性が注文を聞きに来た。二十代の後半くらいであろうか。
達彦は、コーヒーを二つ注文すると、その女性に尋ねていた。
「この店の以前はラーメン屋さんだったと思うのですが」
「ご存知でしたか、ええそうです、私の両親が中華料理店をやっておりましたので」
「ああ、やっぱりそうだったんですか。それでご両親は健在なのですか」
「いえ、父は昨年他界しました。でも母は元気でおります、お知り合いでしたか」
「いいえ、そうではありませんが、昔の店に来たことがあったので、今日は思い出を尋ねに来たのです」
「そうですか、このあたりも随分変わったでしょう」
ごゆっくりしていってくださいと言って、彼女は奥に消えていった。時間帯からいって、さすがに客の姿はそう多くはなかった。メニューを眺めると、フランス料理の名前があった、昼は、喫茶店としての営業をしている様子であった。
「やっぱり、娘さんだったのね」
「そうだったね」
そうして、二人の間に少しの沈黙が訪れた。達彦は物思いに耽っていた。
「また、いっしょにおいでください」と、店を出るときそう云っていた老婦人の声を思い出していた。
そうして、今二人でここにいる。なにか、とても不思議な感じがしていた。
自分の友人にこういうことを云う男がいた。
「人生には、偶然などはない、あるのは意味のある運命がそれを演出しているだけなのだ」
しかし、自分がいざそういう場面に出くわしてみると、そうではないと思いたくなっている自分に気が付いた。
なぜなら、佳子とここにいることの意味が今の自分にはまったく説明することが出来ない上に、未来は不明に思えた。
そうして、心の隅に湧き上がった不安は、佳子に必要以上の好意を抱き始めている自分に気が付いたことであった。佳子が、会いに来たのは今の自分ではなく過去の自分であることは、達彦も充分承知していた。だから、運命なんて言葉に、軽々しく乗っかるほど、能天気な自分ではいられなかった。
島崎家は、間もなくこの地を去るであろうし、それで自分は佳子と会うこともないはずであった。
佳子は、来て良かったと思っていた。達彦に落胆させられることは、なかったし、そうして自分が少しは大人になっていると感じることができたからである。そうして、懐かしい場所を見ることが出来た。東京では、遼子達とも結構いろんな店にも行った。この店は、そんな都会の贅を尽くした店ではなかったが、センスの良さがさりげなく散りばめられていて、なにより落ち着いた雰囲気に佳子は惹きつけられていた。だから、また、ここを訪れたいと思った。
そうして最初に、遼子の顔を浮かべたが、つぎになぜか目の前の達彦の顔をじっと見ている自分に気付いた。もしもまた来ることがあるとしたら、また達彦と会うことがあるのだろうか。佳子はそんな、他人事のようなことを思っていた。
程なく、コーヒーが来た。
二人の話題は、残された時間をどう過ごすかであった。
「やりようによっては、あちこち見ることも出来ないことはないのですが、僕はあまりお勧めできません。たとえ一箇所でもゆっくり落ち着いて、札幌の良さを感じてもらえたらと思うのですが」
「ええ、私もそう思います。達彦さんのお勧めのままでいいわ」
「余りにも月並みなのですが、道庁は如何でしょうか。僕はあそこの公園がとても気に入っているのですが」
先ほど話をした彼女が、佳子が東京から来たと知って、わざわざ扉の外まで見送りに出てくれた。
「ぜひ、またおいでください」
彼女は、二人に向かってそう云った。