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第一章 担任
「おい、寺島、帰りにちょっと職員室に寄ってくれないか」
担任の大澤に言われた。
「なんだい、どういう風の吹き回しだ。お前を呼びつけるなんて」
そばにいた、親友の谷川が大澤の後姿を見ながらいった。
「さあな、何のことだろうか」
担任に呼びつけられるようなことをした覚えは無かった。それに、僕は決して大澤のお気に入りの生徒というわけではなかった。だから、どうしてそう云われたのか、正直僕も不思議に感じた。
大澤は、決して生徒から好かれている教師ではなかった。特別に何か行動に問題があるわけではなかったが、おせっかいなところがあった。プライベートなことにも、どんどん入り込んでくるようなところがあった。好意的に解釈すれば、生徒のことを心配しているようにとれないことはないが、生徒達、特に男子生徒にはやっぱり鬱陶しい存在であった。女生徒の一部には彼のことを好感するものも居た。なぜなら、彼は若い教師で独身だったからである。ルックスは客観的に云って悪い方ではなかった。
僕は彼のことは好きではなかったが、だからといって特に嫌いだということでもなかった。
職員室は閑散としていた。ほとんどの先生達は、部活に出払っていたのであろう。僕は、いつもの場所に座っている大澤を見つけると傍に近づいていった。
僕を見つけると、彼は手を上げた。
「よう、待っていたよ。わざわざ悪かったな」
そういうと、近くから丸椅子を持ってきて僕を座らせた。いつもながらのことであるが辺りには、煙草の強いにおいが漂っていた。
「そういえば、寺島にここに来てもらうことは余り無かったな」
「そうです」
「ということはお前は模範生徒ということか、それとも張り合いのない生徒ということかな」
そういいながら、大澤は吸っていた煙草をもみ消した。
「ところで、実は、今日は聞きたいことがあってきてもらったんだ。ああ、もうひとつ頼みたいこともあるけどな」
僕は、その言葉が気になった。
「その、もうひとつとは何のことですか」
「それは、後から頼むけど、本題から入ろうか。松橋吉雄のことだけど、何か彼のことを知らないか」
「それ、どういうことですか」
「最近、あいつは元気がないだろう。お前なら、何か知っているんじゃないかと思ってな」
「先生、どうして僕が何か知っていると思ったのですか。それよりもどうして、僕を選んだのですか。それを教えてくれなければ、しゃべりたくはありません」
「分かったよ、思った通りだな。じゃ俺も本音の話をするから、答えてくれるな」
そう言うと、大澤は僕の目を覗き込んだ。
「お前を選んだ理由は、前に作文を書いてもらったことがあるな。そうそうテーマは『こころ』だったな。お前は何を書いたか覚えているか」
もちろん、僕は覚えていた。その内容はこういうものだった。
僕は、小学校の時足を折ったことがある。それまで入院などしたことがなかったし、動けないという不自由さ、辛さなど思いもかけ無かった。そんなとき、見舞いに来てくれた友達が何人かいた。そのことは、本当に涙が出るほど嬉しかった。そのときつくづく僕が思ったことは、辛いことにせよ悲しいことにせよ、それはそうなった、本人意外にはなかなか分かるものではない。だから、そのようなことを推し量るこころというか、思いやりが大切だと感じた。そのような内容であった。
実は、僕にはそれ以外にも苦い思い出があった。
足を折るずっと以前の話であるが、小さいころ仲の良い友達がいた。ある時、彼が怪我をしてかなり長い入院をした。僕は、当然のことながら彼のことをとても心配した。だが、見舞いには行かなかった。それは、意識していかなかったわけではなく、要は見舞いに行くという発想が子供だから湧かなかっただけである。退院してきた彼は、薄情だと僕をなじったが、その時はまだ彼の心の中を理解することは出来なかった。あのことで、僕は心の痛みというものを知ったのである。
「その作文を書いたお前のことが、妙に印象に残っていた。だから、お前なら素直に俺の話を聞いてくれるんじゃないかと思ったんだ」
「松橋がな、まさか、今話題になっているような、いじめとかじゃないよな。何か知っているんなら教えてくれないか」
僕は、彼の質問を聞いて、実際は心の中で安堵していた。いったいどんなことを聞かれるのかと、少しは不安に思っていたからであった。だが、安堵したとたんに、大澤は、そのことを聞く対象にどうして自分をえらんだのか、作文のことだけでは、単純に納得することは出来なかった。なにか他に理由があったのだろう、そう感じた。
「作文のことは、分かりましたが、それでもどうして、僕にそのいじめのことを聞こうと思ったのですか」
「それはな、下手な人間に聞くわけにはいかないからだ。お前を選んだのは、三つの理由がある」
そういうと、大澤は息をついだ。窓から差し込む、陽の光が僕たちのところにも、さしてきた。
「初めは、これは重要なことだが、なんらかでもいじめに係わっていないかということだ。もし俺の聞いた相手が、いじめの当事者だったらしゃれにならないよな、それでなくても、もしなんらかの係わりがあるなら、きちんとした話を聞くことなど期待出来ないというわけだ。その点、お前はいじめる方の当事者ということは考えられない。おまえ自身もそう思うだろう。だが、いじめられて居る方ではないということは、果たしてどうだろうかな。これはそうそう簡単な問題ではないかもしれない。でも、お前の親友は谷川だな。だからお前に手を出す奴はいないだろう」
確かにそうだと、僕も思った。
「二つ目は、お前は嘘つきではないだろう。というよりも俺に対して、何のしがらみもない。だからこそ本当のことを聞けそうだと思った。三つ目は、お前は口が堅いということだ。俺が、こういうことを生徒に聞いたという話が、噂が流れるだけでも、ごたごたが起きるかもしれない。とにかく誰も何も良いことはないだろう。お前はそこのところは分かってくれるな?だから、お前をえらんだのさ。ところで、本当のところはどうなんだ」
僕は、言葉を選びながら話し始めた。
「松橋は悩んでいるんだと思います。でもそれは、いじめとかなんかじゃありません。彼の親のことです。詳しいことは知りませんが、両親が離婚を考えているそうです」
「そうか、そんなことがあったのか。知らなかったな。教育熱心な親だったのにな」
「先生、当然のことですが、このことを僕から聞いたなどとは言わないでください。それと、彼のことはそのまま様子をみているだけの方が良いと思いますよ」
「ああそうしよう、ひとつ心配の種が消えたよ」
「それと、うちのクラスにはいじめなどありませんから、安心してください」
「ということは、他のクラスではいじめがあるということなのか」
「それは、僕は良く知りません」
「そうか、とにかくありがとう。それから誰かに今日のことを聞かれたら、進路の相談のことだったとでも言っておいてくれ」
「ところで、先生さっき言っていたもうひとつの用事って何ですか」
「ああ、忘れるところだったよ。帰りに悪いけど、里崎恭子のところにこれを届けてくれないか。今日の用紙だ。明日出てくる時に持って来いと言っておいてくれ」
僕が、渡されたものは、今日の授業で書かされた、今後の進路についてのレポートであった。今の自分の心境を中心にフリーな形式で良いから書くようにということであった。そういえば、恭子は今日休みであった。
彼女の家は街中にある寿し屋であった。僕の家は、街外れであったから、すこし回り道をすれば、彼女の店の前を通ることができた。
「わかりました、僕はこれからちょっと図書室に寄ってから、帰りますが、間違いなく届けておきます」
「悪いけど、頼むよ。ああそれから、寺島、受験勉強の方は、頑張っているな。レポート見たけど、期待してるからな」
僕は、頭を下げると、大澤のところから離れた。
今年の夏は、暑かった。九月に入ったというのに北海道にしては、残暑も厳しかったさっぽろ。ただ、湿気はなかったので、風が吹くと気持ちがよかった。校門を出た僕は、いつものようにゆっくり歩き始めていた。中途半端な時間であったから、目の前に下校する生徒達の姿はなかった。僕は、風が吹きぬける舗道の上を、町に向かって坂道を降りていった。陽はだいぶん傾いていたが、とても明るかった。
僕はその『仲鮨』の前で立ち止まった。店はまだ開いていなかったが、もう準備を始めているのだろう。店の中からは人の立ち働く気配がした。
僕は、入り口の引き戸を開けた。目の前のカウンターには店の主人とおぼしき男が立っていた。がっしりとした身体つきをしてるが、目が優しかった。小上がりには、奥さんであろうか小柄な女性が、テーブルを拭いていた。恭子の両親に違いない。二人は、揃って僕を見ていた。
「こんにちは、恭子さんの同級生の寺島といいます」
そう僕が云うと、主人が笑顔でどうぞと迎え入れてくれた。笑うと目がひどく細くなった。
「いらっしゃい、恭子に何か御用ですか」
「実は、担任の大澤先生からあずかってきたものがあるのです」
僕は、そのまま言葉を続けようとしていたが、最後まで聞かずその主人は二階に向かって大きな声を張り上げていた。
「おーい、恭子、友達が来ているぞ。降りて来い」
やがて、階段をとんとんと降りてくる足音がすると、恭子が顔を見せた。
「あら、寺島君じゃないの。びっくりしたわ。何?珍しいことね」
それで、僕はここへ来た目的を、再び説明しようとしたら、またしても彼女に話を遮られてしまった。
「あ、ちょっと待って、立ち話もないでしょ、部屋においでよ、母さんなにか飲み物お願いね」
僕は、用紙を渡したらすぐ変えるつもりでいたから、思わぬ成行に少し戸惑っていた。
それを、見ていた母親は、どうぞ上ってくださいと、勧めてくれた。それで、僕は靴を脱いで恭子の後に続いた。
狭い階段を上りながら、僕は少し緊張していた。同級生とはいっても、女性の部屋に入るのは、初めての経験であったからである。
部屋に入る前に、彼女はちょっと待っててと言った。部屋をかたづけるのだろう。
彼女は、座布団を敷くと、折りたたみの小さなテーブルを出してきて置いた。
西に面した窓は開け放されていた。そこからは、遠くの山の端が見えて空が明るかった。
彼女は僕の前には座らず、机の椅子に座っていた。僕は、内心そのことでほっとしていた。いくらなんでも、面と向かったら、気恥ずかしくて息がつまりそうだったからである。
その部屋は、そう広くはなかった。四畳半くらいであったのだろう。先ほどの机は、部屋の隅に置かれてあった。机の上は、僕と違ってすっきりと片付けられていた。壁には一面にテニスプレーヤーのポスターが貼ってあった。彼女はテニス部に入っていた。そうしていかにも女の子の部屋らしく、大きな白いくまといくつかの縫いぐるみが置いてあった。机の横には、本棚が置いてあって、文庫本がぎっしりと並べられていた。僕は、ちょっとそれらの背表紙に目を走らせたが、驚いたことにいわゆる本格派と呼ばれるものやシリアスなタイトルが多かった。僕は、今時の女の子だから、ライトノベルとか学園恋愛ものとかそんなものを予想したからであった。そうして、カーテンがピンクの花柄だったことだけは、当然と思いつつも、ちょっとしたときめきを思えずには居られなかった。
そんな、自分の様子を、彼女はじっと観察していたのに違いない。
「寺島君、女の子の部屋に入るのは、初めてなんだ」
僕は、一瞬、見栄から、そんなことはないと言おうとしたが、無駄な抵抗は止める事にした。
「うん、やっぱり分かるのかな」
「そりゃそうよ、そんなにきょろきょろして、落ち着かないんだもん」
彼女は、そういうと、僕の目を見てにっこり微笑んだ。その時、僕は、それまでぼんやりと彼女に対して感じていた違和感のようなものの原因に気が付けるほど、自分を取り戻すことができていた。
僕が、学校で見かける彼女といえば、当然のことながらセーラー服姿か、ジャージ姿であった。だが、今目の前に居る彼女は、ブルーのGパンに白いTシャツ姿である。学校でみるよりも、ずっと大人びて見えた。そうして、その分、僕は自分がひどく子供のような気がしてならなかった。そうして、彼女の胸が思ったより膨らんでいることにも、気が付いて、思わず自分の心臓の鼓動を感じてしまった。そうして、僕は、そのことを彼女に気づかれないように、そっと視線を逸らしていた。
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