HOME > 小説の森 > 風の棲む街 > 第十七章

第十七章 友達

 北の陣屋である。今日も賑わっていた。
 いらっしゃいという、威勢の良い声に迎えられて、一人の若者が入ってきた。空いていたカウンターの席に着くと、中の店員を見渡した。芳樹が彼の姿を認めた。
 「よう、大澤か。どうした?」
 「いや、今日は研究室の飲み会だったんだ。連中はもう解散したけど、久方ぶりにおまえと飲もうと思ってな。ここにくれば居るはずだと思って」
 「そうか、もう三十分ほどであがるから、ちびちびやっていてくれ」
 「そうするよ、酒を頼む。つまみは、一番安い奴でいいぞ。枝豆だなそれを頼む」
 芳樹は、苦笑すると「分かった」と云った。
 その大澤という男は、三十分かけてその酒を飲んだ。

 店を出ると、大澤が出口のところで待っていた。
 「おまえと飲むのは、久方ぶりだな」
 芳樹が云った。
 「そうだな、ところでどこへ行く、当てがあるのか?」
 「ああ安くて、いいところがある。そこへ行こう」
 「いいとも」

 二人が入ったのは、『朋』であった。
 「あら、宗方さんいらっしゃい。しばらくご無沙汰だったわね」
 栄子が迎えた。
 「そうだったか、最近はあまり飲みに出てなかったから」
 「お隣さん、初めての方ね。学生さん?」
 「ああ、紹介しておくよ。科は違うんだけど、同期の大澤智也というんだ」
 「よろしく」
 「こいつは、とっても酒がつよいんだ」
 「それじゃあ、今日は酒かしら?」
 「それで、お願いします」
 そう云ったのは、大澤だった。
 「どうだい、この店?」
 「いいね、俺は気に入ったよ」
 「それは、よかった。俺は、店が終わってからここに寄ることもけっこうあるんだ」
 「何時まで、やっているんだ」
 「一応、十二時だけど、一時くらいまでやることもあるよ。週末は間違いないな、ねえ、姐さん」
 「そうよ、だから贔屓にして」
 「お前、『北の陣屋』はずいぶん長くなるな、どのくらいになる?」
 「丁度、一年になる」
 「ずっと、続けるつもりか?」
 「いいや、でも三年のうちは続けるつもりだ。四年目になったらそうも行かないだろうからな、その時考えるさ」
 「お前には、敬意を表するよ、よくやるよ」
 「どってことないさ、楽しみながらやっているよ」
 「ところで、さっき店で働いて居た奈良って札付けていた娘、美人だったなあ」
 「相変わらずだなあ、おまえは。店の娘に手をだすなよな。それと、女にうつつぬかしていると、卒業できなくなるぞ」
 「ご忠告、ありがとう。でも俺はちゃんと卒業するつもりだ、遊んでいる余裕なんかない」
 「それなら、もっとちゃんとやれよ」
 「分かってるって」
 大澤とは、大学の紹介欄の測量のバイトで知り合った。とにかく、明るい奴だった。ギターも歌も旨くて、女の子に持てる奴だった。芳樹は自分とは違うタイプだと感じたが、共通点があった。酒が好きだったのである。芳樹も弱いほうではなかったが、とにかく大澤は強かった。そんなことから、仲良くなった。

 客は他には、中年の男二人組みが居るだけであった。でも、これから客が入ってくるのかもしれない。奥に小上がりがあるが、普段は使っていない。ちょっとした宴会があるような時使われるようであった。
 そのうち故郷の話になって、大澤がN町出身だと云った。そうしたら、女将の栄子がその街に居たことがあるという話で、そのことで随分な盛り上となった。芳樹はN町のことを知らなかったから、もっぱら聞き役であった。
 そんなことで、十二時を回っていただろうか、入り口の戸が開いて、二人の客が入ってきた。
 芳樹と目が合った。
 「あら」
 「この前の、学生君か?」
 「この前は、どうも」
 大澤は怪訝な顔をしていた。
 「知り合いか?」
 「ああ、ちょっとな」
 坂井亜希と菅原であった。二人は、すこしばかり騒々しい様子で奥のカウンターに腰を下ろした。結構酒が入っているのかもしれない。亜季はやはり、この店には少しばかり不似合いな派手な服装であった。だが、店の中が急に明るくなったように感じられた。
 「いらっしゃい、今日は偶然ね、宗方君とかちあうなんて」
 栄子が云った。
 「そうね、今日はちょっと、どたばたがあったから飲みなおしたい気分なの」
 そういうと、亜希は煙草を取り出して火を点けた。
 「どうしたの?」
 「ある男が、亜季の店に飲みに来たんだけど、酔っ払っていてね、未練たらしいことばっかり云うのさ」
 そう云ったのは、菅原だった。そうして、言葉を続けた。
 「結局は、酔いつぶれたからタクシーで帰したんだけど。すっかり酒がまずくなった」
 「もう、終わったことなのにいつまでもあと引かれたら、商売にも差し支えるのよ。他のお客さんもしらけてしまって」
 「それで、飲み直しに来たんだ」
 菅原が云った。
 「あらあら、それは大変だったわね。たくさん飲んでいってちょうだい。でも、その人亜季ちゃんが好きなんでしょ?」
 「でも、そのひとは別に恋人が居るのよ」
 「それは、悪い奴ですね」
 大澤が、大きな声で云った。
 「あら、あなた誰?」
 「宗方の友達で、大澤って云います。工大の三年目なんですけど、よろしく」
 「あら、覚えておくわ。こんど店に遊びにいらして」
 営業用の笑顔でそう云うと、亜季は名刺を差し出した。そうして、宗方にも渡した。
 そこには、『スナック ディープブルー 坂井亜季』とあった。そうして電話番号と、携帯の番号も手書きであった。
 「とにかく、飲みなおしだ。姐さんビールだ。学生さんにも一本開けてくれ」
 そうして、栄子も入れて五人で乾杯をした。
 
 大澤が、耳元に口を寄せて云った。
 「彼女、凄い美人だな」
 「おいおい、おまえ何か悪いことを考えているんじゃないだろうな」
 「いいや」
 だが、そう云った大澤の顔は悪戯を考え付いた子供のような顔をしていた。
 
 菅原が、トイレにたった隙に大澤が亜季に話しかけた。
 「ねえ、お姐さん。その店は高いんじゃないのかい?」
 「この店よりは、高いわよ。姐さんごめんね」
 「どの位、持っていけば飲めるんだろう?」
 「あらかじめ私に云ってくれれば、相談に乗るわよ。だから一度来て見て」
 「そうするよ」
 二人で、また乾杯をしていた。相変わらず、調子の良い男だと思う。だが、憎めない男だった。
 菅原が戻ってくると亜季と話し始めたから、宗方たちも二人の話題に戻った。
 遅い時間なのに、週末の所為かそれからも客が入った。
 間もなく、宗方と大澤は店を出た。亜季達はまだ店に居た。

 「おい、大澤。今誰かと付き合っているんじゃないか?」
 「いいや、今はフリーさ」
 「じゃ、彼女に目を付けたな?」
 「お前も、彼女に気があるのか?」
 「いいや、俺はいいが」
 「ふうん、ならいいだろ」
 「まあな、確かに彼女は美人だな」
 「でも少し、派手そうだな」
 「商売柄かもしれないぞ」
 「それは、そうかもしれない」
 「これから、寮に帰るのか、よかったら、俺のところに泊らないか?」
 「男のところに、泊りたかないよ。歩いて帰るさ」
 「歩くんなら、随分遠いぞ」
 「酔い覚ましに夜風に吹かれるのも、気持ちの良いものさ」
 宗方は、苦笑すると云った。
 「しゃれたことを云うな、それじゃな。気をつけて帰れよ」
 「ああ、またな」
 二人は、背を向けると歩き出した。夜の街を歩く人影もほとんど無くなっていた。

目次