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第四章 秘密

 なかなか、恭子と話をするタイミングがなかった。その日はラッキーだったと思う。いつものように図書室に寄った僕は、裏門から出ていた。最近はテニスコートの脇の小道を通ることにしていた。その時、コート上では部員達が交代にサーブの練習をしていた。突然、フェンスを越えてボールが飛んできた。それを取りに来たのは恭子であった。
 「やあ、こんにちは」
 「あら、今帰るところ?」
 「そうさ、ところで、この前はありがとう」
 「いいえ、どういたしまして」
 そう云うと、彼女は首を少し傾けて微笑んだ。僕はその仕草が、とても可愛くて彼女をまぶしく感じた。
 「ところで、この前のなぞなぞ、来づらい理由がずっと気になっているんだけど」
 「そう、教えてあげるわ。また家に遊びに来る?」
 「行ってもいいの?」
 「ええ」
 そのとき、コートの中から声が聞こえた。
 「恭子、なにやってんの」
 「あら、じゃまたね」
 そういうと、恭子は身を翻した。ぼくは彼女の後姿を見送りながら、飛び上がりたい気持ちを抑えた。今度話をする時は、訪問する日を決められるに違いない。
 だから、次の日、僕は恭子が一人になった時を見計らって、彼女の傍に行った。周りの目があるので、長話は出来ないと思った。だから、単刀直入に話を切だした。
 「いつ、行っていいの?」
 「今度の日曜日、来れる?」
 「大丈夫とも、時間は?」
 「三時なら」
 「わかった」
 「それじゃね」
 「ああ、それじゃ」
 それだけ、話をすると僕達は離れた。その日の僕は、なんというか終日幸せな気分だった。

 首を長くして、待っていた日曜日が来た。僕は着るものには無頓着な方だったが、今日ばかりは、お気に入りでまとめた。
 ちょっと、友達の家に行って来ると云って、家を出てきた。行き先は、もちろん告げずに来た。昨日は、少し雨模様のぱっとしない天気であったが、今日は多少雲はあるものの、暖かな気持ちの良い日であった。時間は相当余裕をみていたから、僕は街中の商店街をゆっくり抜けて行った。今はどこの都市でもそのようだが、郊外のショッピングセンターが増えて街中は、さびれる一方であった。子供の頃から、この街で育った僕は、何がしかの感傷めいたものを感じてしまう。
 ほどなく僕は、彼女の家に到着した。恭子には、まだ、店の開く時間ではないから、裏口から入ってと云われていた。僕は先日二階から眺めた、裏庭に身を置いて居た。いろいろな鉢植えの花があったが、ほとんど僕はそれらの名前を知らなかった。それでも、僕は恭子の家のところの花は菊が多いことくらいは、分かった。特に花弁の白い大きな花に、目を惹かれた。
 隣の庭は、色が華やかで見慣れぬ花が多い。きっと外国の花なのだろうと思った。この前見かけた女性の好みなのだろうか、僕はそんなことを思った。

 少し緊張しながら僕は裏口をあけた。
 「こんにちは、おじゃまします」
 母親が、姿を現した。
 「いらっしゃい。寺島君だったわね、どうぞ二階へ」
 僕は、頭を下げると階段を上った。
 「やあ、こんにちは」
 「いらっしゃい。早かったわね」
 「ああ、遅れちゃいけないと思ってね」
 テーブルの上には、もう飲み物と菓子が用意されていた。彼女は、やはりGパンで淡いブルーの花柄のプリントのTシャツを着ていた。彼女はテーブルの向こう側に座っていた。

 僕達は、少しの間押し黙っていた。
 最初に口を開いたのは、恭子の方だった。
 「今日は、良い天気ね」
 「ああ、そうだね。今頃にしては暖かいね、歩いてくる途中はとても気持ちが良かった」
 「どこに、行くって、家を出てきたの?」
 「ただ、友達のところに行くからって」
 「そう」
 「ここに、また来たいと思っていたから、とても嬉しいよ」
 「本当にそう思っていたの?」
 「この前の話の続きを聞きたかったからじゃない」
 「それも、あるけど、君と話をしたかったからさ」
 「本当?」
 「本当さ」
 本当に、そう思っていた。身近で二人きりで話をできることがとても楽しかった。彼女がジュースをすすめてくれた。

 「ところで、となりの姉さん、そして君のお父さん、大澤先生と何か繋がりがあるんだろう?今日は教えてくれるんだよね」
 「あら、どうしてそう思ったの?」
 「この前のことなんだ、悪いと思ったけど、ちょっと大澤先生に鎌をかけたんだ。そしたらそこまでは分かったんだ」
 「約束だから、教えるわよ。でも、このことは誰にも話さないって約束してくれる。そうしてくれなければ、誰かが傷つくかもしれないから」
 もちろん、僕に異論はなかった。なぜなら、そこまで僕を信頼してくれるということの裏返しの話であったからである。
 「分かった、約束するよ」
 「実はね、大澤先生のお母さんは、僕の父の遠縁に当たるの」
 「え、そうなんだ」
 「だけど、僕の家でもそのことを知らなかったの、向こうの方でたまたま僕の名前を知っている人がいたの。きっと、大澤先生の生徒名簿を見たのだと思うわ」
 「そうか」
 「そうして、その大澤先生の両親、札幌からわざわざ僕の家に挨拶に来たの」
 「へえ、それは驚いたよね。そういえば、大澤の実家は札幌だったか」
 「そうして、結局は、大澤先生をよろしくということだったんだわ」
 「それって、どういうこと」
 「つまり、大澤先生もあちらにとっては、可愛い一人息子ということでしょ。それで、親元から離れていて心配だから、ときどき様子を知らせたり、なにかあったらよろしく頼みますということだったらしいの」
 「と云うことは、大澤は親孝行息子ではなさそうだな」
 「あら、ちょっときつい云い方ね」
 「いや、だいたい男ってのはそういうもんさ。親元離れて羽を伸ばしているものさ」
 「じゃ、寺島君もそうなの」
 彼女の目は、少しばかりなじるように僕を見つめていた。それで、僕はいささかの言い訳めいたことを云った。
 「男だって、ひとそれぞれだから、僕は、まあちゃんと親を安心させると思うよ」
 「本当?」
 「そうさ」
 「信じてあげる。それで、生徒の私が担任の先生にお世話になるのが普通なのに、逆に一人息子である担任の目付けが私の親になってしまったということなの。なんだかおかしな関係だけどね」
 「なるほどね」
 「ところが、思いもかけない事件が起きてしまったの」
 いよいよ、核心に話が触れてきたと思った。僕は彼女の次の言葉を待っていた。
 「隣の、姉さん、亜希さんて云うのだけれど、実はスナックに勤めているの。大澤先生その店に足繁く通っていたみたいよ。そうして、理無(わりな)い仲になってしまったの」
 「わりないなか?」
 「そんなことも分からないの、つまり、男と女ということよ」
 そういうと、彼女は顔を赤らめてうつむいた。僕は、動揺して、しばらく返す言葉を失っていた。
 「そういうことなんだ」
 「でも、話というのはそれだけではないのよ」
 「まだ、なにかあるのかい」
 「大澤先生、札幌に学生時代から付き合っている女のひとがいるらしいの」
 「ということは、向こうの両親もそのことを知っているということかい」
 「そうなの」
 「なんだ、大澤はなんて奴だ」
 「それで、父さんが大澤先生が家に来たとき、どうするつもりなのだと、いろいろ意見をしたみたい。だからこの家には来づらいのだと思うわ」
 「なるほど、そういうことだったんだ」
 「でも、父さんはそのことをあちらのご両親にはまだ、云ってないの」
 「なぜ?」
 「今、仮に全てを話してもなにか良いことがあると思う。男と女のことってそんな簡単にけりの付くことではないわ。二人のことも、時間が必要だと思うわ。うちの両親ってこういうことには割りとさばけているの」
 僕は、改めて自分のことを子供だと思い知らされた。男と女の機微のことなど話としては聞けても、実感を持つことは出来ない。僕が理解出来るのは、女の子が好きか嫌いか、その感情だけであった。恭子は、いや女の子は、ずっと深いところを感じ取っているのかもしれない、そう思った。
 「それと、もうひとつ、とても大切なことよ。僕の両親も、姉さんと大澤先生が付き合っていることは知っているけど、深い仲になっていることは、知らないの」
 「ええ、じゃどうして、君だけが知っているのさ?」
 「姉さんから、聞いたの」
 「君たち、なんでもしゃべるんだ」
 「そうでもないのよ、でも姉さんもきっとこのことを誰かに話したかったのだと思うの」
 「僕に、こんなことしゃべっていいの?」
 「寺島君は特別よ。口は堅いでしょ?」
 「そりゃ、まあ、そうだけど」
 内心、えらいことを聞いてしまったという思いがあった。
 「だったら、絶対誰にもしゃべらないって約束してくれる。いい?」
 「もちろん、約束するよ」
 「じゃ、指きりね」
 彼女は、小指を差し出した。僕は、ちょっと照れたけれど、小指を彼女の小指と絡めた。その時、僕達はお互いの目を見詰め合った。とても幸せな瞬間だった。そうして、僕は指きりなんて、子供の時以来じゃないかと不思議な思いに捕らわれていた。二人の共有の秘密が出来たこと、それは、ちょっと背徳的な気分のするものだったが、形容のできない甘美な思いに僕は浸っていた。

 「いずれにしても、大澤はどうするつもりなんだろう」
 僕はそう云ったが、でも、あんな美人ならと思って、彼の気持ちが分かるような気がした。そうして、突然僕は、目の前にいる恭子に「僕も君が好きだ」と云いたい衝動に駆られていた。でも、実際は、そう云うことなく僕はただ深く息を吐いていた。

 窓は開いていたのに寒くはなかった。僕はその向こうにある空を見やった。小さな雲が幾つか見えた。
 恭子も、顔を上げてそちらを向いていた。西日が彼女の横顔を照らしていた。彼女はとても綺麗だ、僕はそう思っていた。

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