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第六章 再会
列車内は高校生の姿が多かった、藤原遼子は職業柄、初めはじっと彼らの様子を眺めていた。だが、彼らは、本当に素朴であった。適当に悪ふざけをしているが、刺々(とげとげ)しいところはまったく感じられなかった。ゆっくり、旅の風情に浸れそうであった。
遼子は、列車の窓から見える海に視線を移していた。列車に乗るなんて何年ぶりだろう。しかも一人であった。夢に描いていたことの一つを、今自分が体験していることが信じられない気分であった。ことの成行はこうであった。
たまたま、大澤の実家の近くまで行く用事があったので、両親の好きなお菓子を携えて挨拶に行ったのである。
ところが、二人の表情はなぜか冴えなかった。遼子は、そのことが気にはなったが、長居するわけにもいかず、早々に退出するつもりでいた。それではと、遼子が云ったとき、母親の芳江がお急ぎでなかったらと切り出した。
「遼子さんに、お話したほうが良いのかどうか、とても悩んだのですけど、やっぱり、云っておいたようが良いのだろうと思いまして」
父親の、藤助は目を瞑ったまま、腕を組んで黙っていた。
「実は、家の遠縁筋に当たる方が、浩一の居る街に住んでおりますの。こちらもあの子のことは、気がかりですから、なにかと力になってほしいとお願いしていたんです。その家の娘さんは、偶然なことに、浩一の教え子だったんですよ。先日電話がありまして、それほど、気にかけるほどのことはないとは思うのですが、最近ある女性と付き合っているようなんです。真剣なのか、はたまた遊びなのか、なんとも分からないそうです。そうして、向こうが云われるには、よっぽど、このことは其方に知らせないで成行に任せたほうが良いのだろうとは思ったのですが、お付き合いをされている方が居られると聞いていたので、連絡することにしました。ですから、このことで、決してことを荒立てないでほしい。それはこちらの本意ではないということでした」
遼子は、さすがに、それなりの衝撃を感じていた。大澤に、さすがに不信感と怒りを覚えた。
だが、それでヒステリックになっても、ただ全てのことがおかしくなってしまうだけのことだろう、と思う心の分別は残っていた。
兎に角、大澤に会いたい会ってみようと、そう思った。直接的にそのような話をしなくても、彼の気持ちを読み取ることはできるだろう、そう思った。
そうして、秋の観風会であった。今年は、話題の知床に行こうと決まった。そのことが、決まったとき、大澤に会うと気持ちが決まっていた。
「藤原先生、途中でバスを降りるんですよね」
「ごめんなさいね、せっかくだから、親類の家にどうしても寄りたいの。私の母がどうしてもって言うものだから」
遼子は、職場の同僚つまり先生方と観風会で知床に来ていた。観風会とは、北海道で使われる言葉で、要するに秋の職場の慰安旅行のことであった。
大澤に会うために、理由をつけて途中下車することを、皆に了解してもらっていた。さすがに、遼子は少し申し訳ない気持ちであったが、なるべく皆に迷惑をかけず、できるだけ長い時間一緒に居ることができるよう考え抜いた方法を考えておいたのであった。
彼女は、オホーツク海に面する小さな駅で同僚たちと分かれた。
彼が、待っていてくれる駅までは三時間ほどであった。彼と会うまでは、何も考えず、列車の旅を楽しむつもりであった。
大澤浩一は、待合室でほんの少しだけ、いらいらしていた。それは、煙草を吸えなかったからである。最近は禁煙場所がやたら増えている。時代の流れとは思っても、困ったことだと思っていた。
駅のアナウンスが、響いた。間もなく遼子が到着するはずであった。大澤は、改札口のあるホールに移動した。ざっと辺りに目を走らせたが、自分の高校の生徒は居ないようであった。それほど、大きな街ではここはなかった。だから、いらぬことで、つまらぬ噂がたつのは勘弁してほしかった。
遼子は、Gパンにトレーナーというラフな格好であった。背中に小さなザックを背負っていた。いつもながらの、はにかんだような微笑を浮かべていた。
「しばらくね、元気そうだわね」
「ああ、それにしても驚いたよ、突然来るなんて云うんだから」
「あら、来られてなにか都合の悪いことでもあったの?」
「いや、そういうことではないけど、突然だったから」
「本当にそう、でもいいわ。夜行列車の出発までは、結構時間があるから、ゆっくりできるわ。ごちそうしてくれるんでしょ」
「もちろんさ、任せてくれよ」
浩一の表情はいつもと変わらないようであった。普段は、余り笑顔を見せることのない、すこしぶっきらぼうな男であった。でも、遼子はそれに慣れていた。
駅の駐車場に止めてあった、浩一の車に二人は乗り込んだ。エンジンをかけると、浩一が聞いた。
「まだ、結構時間があるな。今日は、天気が良いから。少し車で走って、郊外の紅葉でも見ようか。それから、どこかでコーヒーでも飲む?」
「ええ、いいわ」
車は、街中を抜けると高台へと向かった。街路樹は、すっかり紅葉していた。
浩一が、案内してくれた場所は閑静な公園のようなところであった。森に囲まれて、様々な石が配置されていた。実際は、公園ではなくて、石の展示場であるということであった。
「ここは、ちょとした穴場なんだ。めったに人に会うことはないよ」
「なかなか、良い所ね、気に入ったわ」
「ただ、今年は気温のせいか、紅葉がいまいちだけど」
「そうらしいわね」
二人は、誰も居ない其の場所をゆっくりと歩いた。ときおり風が微かに吹くのであろうか、高い樹の梢から枯葉がはらはらと舞い降りてきた。
「もうすっかり、秋になったわね」
「そうだね、札幌はどうだい」
「同じようなものよ、でも、こちらのほうがやっぱり早いようね」
「ところで、昨日は知床に泊ったのかい?」
「いいえ、例の世界遺産の件で、知床のホテルに泊るのはなかなか難しいみたい。私たちは、網走に泊ったの」
「宴会は、どうだった?盛り上った?」
「楽しかったわよ。結構、盛り上がったと思う。観風会は浩一さんのところはもう終わったの」
「これからさ」
「あまり、はめを外さないでね。顰蹙(ひんしゅく)をかうから」
浩一は、酒好きであった。酒は強かったが、深酔いすると、歓迎されざる酔っ払いになってしまうことがあった。
浩一は、苦笑すると、「最近は、つぶれることは、なくなったよ」
そう云った。
「最近はね、最近っていつのこと?」
「なんか、からむね、最近のことさ」
しばらく、たわいのない会話をしていた。
「そろそろ行こうか」
「そうね」
「最近は、喫茶店も減って、なかなか、良い店がないんだ。ちょっと、離れているんで少し走るよ」
目的の、喫茶店に着いた。コテージふうの結構大きな店であった。銀杏の樹の落ち葉が、あたりを敷き詰めていた。
「素敵なところね」
遼子は、立ち止まって周りを見渡すとそう云った。
店内は、予想していたように、広々としていて、喫茶店というより、レストランという雰囲気であった。ゆっくり話が出来そうであった。
「なかなか、良い店ね、浩一さん、良くこの店来るの?」
遼子は、正面から、浩一の目を見つめると聞いた。浩一は、髪をかきあげる仕草をすると、やや間を空けてから答えた。
「いいや、前に友達と一度来たことがあるだけど、良い店だなって気に入っていたんだ」
遼子は、心のなかで、そう、と言って、どんなお友達かしらと思った。しかし、そこまで聞くことはしなかった。
「学校のほうは、どうなの、ちゃんと担任しているの?」
「ああ、なんとか、かんとか頑張っているよ」
「浩一さんのクラス、受験だからいろいろ大変でしょう」
「そうなんだ、でも考えてみれば、自分の時の経験から考えれば、こういうもんなんだなと思っているよ」
「私は、副担任だけど、担任になるのは大変だなって思うわよ」
「まあ、教師の道を選んだ以上、仕方がないだろう」
「そうよね」
「ところで、来る前実家を訪ねてくれたんだって?」
「そうよ」
「二人とも、元気だったかい?」
「ええ、お変わりなかったわ」
だが、遼子は、両親と話をした、浩一のことには、もちろん触れなかった。
「浩一さん、街には呑みにでたりすることはあるんでしょ」
「同僚の、先生達と行くことはあるよ」
「ちょっちゅう、行ってるんじゃないの?」
「そんな、ことはないよ、なんか行事とかあったときの打ち上げとか、そういう時さ」
「そうなの、『仲鮨』は、じゃあまり顔は出していないの」
「めったに行くことはないよ、なぜなら、僕のがらじゃないし、僕には身分不相応だろう」
「でも、この街の唯一の、親類筋だから、もっと大切にしたほうが良いんじゃないの」
「でもなあ、教え子の店で飲むってのも、ちょっと、気が張って、呑みづらいものさ」
「そうなの、関係ないと思うけど」
「そうじゃないのさ」
浩一は、鎌をかけられていることには、気づいていなかった。遼子は、女の感で、なにかありそうなことを、嗅ぎ取っていた。しかし、それ以上詮索めいたことをするのは、止めようと思った。なにも、そのためにわざわざここまできたわけではなかったからだ。久方ぶりの、逢瀬を楽しもうと思った。
それからは、やはりそれぞれの、職場でのことが話題になった。コヒーカップに、暮れようとしている陽の光が反射していた。
入り口が開くと、暖簾をわけて大澤が入って来た。そうして、遼子が続いて入ってきた。
主人の里崎隆造は、彼女のことをじっと見つめた。今晩来ることを、聞いていたからである。
とびきりの美人というわけではなかったが、美人の部類には入るだろう。明るい雰囲気が、好感できた。大澤と同じ年のはずであったが、彼よりも少し大人に見えた。
「カウンターで良いですか」
隆造は、大澤にではなく彼女に聞いた。
「ええ」
そうして、言葉を続けた。
「始めまして、藤原遼子と申します。話は聞いていると思いますが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ、札幌の大澤さんには、お世話になっています。今日は、時間の許す限りごゆっくりしていってください」
遼子はザックから、四角い包みを取り出した。
「あのう、これは、大澤さんから預かってきたお土産です。気持ちばかりのものですが、ということでした。近くにあるお菓子屋さんのものだそうです」
「わざわざ、すみませんでしたね」
奥から、顔を見せた、恭子の母の智恵子が、頭を下げた。
「あいさつばかりじゃ、しようもない話だ。大澤さん何になさいます?」
大澤は、ぐい飲みを二つと、鮨を二人前、そうしてお任せのおつまみを頼んだ。
「お嬢さんは、いける口なんですね」
「見かけに寄らず、なかなか強いんですよ」
大澤がそういうと、遼子が答えた。
「そんなことはないんですよ。でも、私はお酒が好きというより、雰囲気が好きなほうなんだと思います」
「それは、頼もしいお嬢さんだ」
遼子は、この店が、すっかり気に入っていた。初めてなのに気を張るようなところがなかった。まるで、馴染みの店に来ているような錯覚を覚えた。
店には、他に何組かの客がいたが、今時の鮨屋としては流行っているほうであろう。
隆造は、二人の話に応対してくれたが、自分からはそう話しかけることはなかった。こういう店にありがちなのが、やたらおしゃべりの主人がいたりすることである。退屈させないのは、結構だが、時と場合によっては鬱陶しいこともある。二人は、ゆっくり話をすることが出来た。
そのうち、娘の話になった。
「恭子さんて、おっしゃるんでしたよね。娘さん」
「そうなんです。大澤先生にお世話になっています」
「そんなことないですよ。彼女は、とても良い生徒で、皆あんな生徒だったらなって思いますよ」
傍にいた、智恵子が口をはさんできた。
「あんた、せっかくだから、恭子、挨拶に呼んできたらどうかしら」
「そうだな、ちょっと、呼んでこいよ」
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