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第九章 二人の少女
家に帰ると、母に云われた。
「恭子、亜希ちゃんが遊びに来ないかって云っていたよ。お前の好きなケーキを用意してあるってさ」
「そう、行ってもいい?」
「いいわよ、でも、あまり長居はしないようにね。夕飯には間に合うようにして」
「わかった、じゃ行ってくるね」
どういう風の吹き回しだろうと思ったが、ははあ、このまえの大澤の件が耳に入ったのに違いないと思った。とにかく、彼女は早耳であった、というよりも地獄耳といった方が良かっただろう。
恭子は、部屋に入ると、急いで着替えた。
「ちょっと待っててね、飲み物もって来るから」
そういうと、亜希は階段を降りていった。
この部屋に、来るのも久しぶりだわ、恭子はそう思った。それにしても、相変わらずの縫いぐるみの数である。というより、以前より増えている。ということは、彼女に貢ぐ、新たな男が増えたということなのだろう。
恭子は、鏡台の前に座った。亜希は商売柄もあるが、高価な化粧品を使っていた。前に、ふざけて、思いっきり化粧をされたことがあった。恭子は鏡の中の自分を見て信じられない思いだった。亜希も驚いていた。これなら一緒に、店に出られるわと。もっとも、そんなことは出来るはずもないことではあったが。そんな、自分を見せたら、良祐はきっと目を丸くするに違いない、そう思ったら鏡の中で笑っている自分が居た。
それから、サイドボードの上の隅に置かれている、写真立てに視線を移した、やっぱりこの前の男とは変わっていた。まったく亜希はと思って、思わず微笑んでしまった。だが、この写真立てのなかに、大澤の写真が収められたことは一度もなかった。だから、恭子は、亜希が大澤のことを、本気で思っているとは考えていなかったのである。とにかく、亜希は夢の多い女であった。まあ世間では、古い言葉で云うなら、ふしだらな女になるのだろうと思って、そんなことを考えている自分自身に、恭子はすこし可笑さを感じた。
「ごめんごめん、待たせて」
亜希が、慌しくドアをあけると、テーブルの上に飲み物を並べ始めた。気を利かせたつもりであろう、随分様々な飲み物が並べられた。
「あら、姉さん。今日はビールは飲まないの?」
「ケーキにビールは合わないでしょうが」
「あ、そうか」
恭子は、ここには良く遊びにくる。亜希の出勤が近い時間ではつまり夕方の場合は、景気付けだといっては、彼女はよくビールを飲むことがあった。恭子が、身体に良くないんじゃないのと嗜(たしな)めたことがあったが、沢山飲む訳じゃないから良いのとかわされていた。確かに、彼女は酒に強かったし、そのことは彼女の勝手であったろう。もちろんのことであるが、恭子は酒を飲んだことがなかった。いつかは飲むことになるかもしれないが、飲みたいと思ったことはなかった。
「まあ、座りなさいよ」
亜希はテーブルに着くと、手招きした。
「ところで、姉さん、何で今日私を呼んだの?」
「あら、何でしょうかしらね、分かっているくせに」
そう云った、亜希の目はいたずらを見つけた子どものように、キラキラと輝いていた。
「そう、それじゃひとつ、確認しておきたいことがあるんですけど」
「姉さんは、大澤先生のこと、何とも思ってないんでしょう、それなら何で気にするの?」
「そういうことじゃなくて、要は好奇心が強いだけなの」
「好奇心だけじゃなくて、独占欲も強いわよ。そういう人は、いつか泣きをみるのよ」
「あらら、これじゃ、どちらが、姉さんか分からないわね」
「ほんとね」
二人は、声を挙げて笑った。それから、亜希が聞いた。
「ねえねえ、彼女あなたの部屋に行ったんだって?」
「あきれたわ、そんなことまで知っているの」
「ねえ、どんな人だったの、教えて」
さすがの、恭子も亜希のあっけらかんぶりには、毒気を抜かれてしまった.
「とても、感じのいい人だったわよ。同じ年らしいけど、大澤先生よりしっかりしているように、見えたわ」
「そうなの、で、美人だった、背は高かった?」
「私は美人だと思うわ、亜希姉さんとはタイプがちがうけどね」
「それ、褒めていてくれるの。そう、ありがと」
「別に、褒めてなんかいませんよ。おそらく、男の人が見たらそう思うんじゃないかなって思っただけ」
彼女は、特に反論はしてこなかった。次の言葉を待っていた。
「背はねえ、私たちよりは低かったわ」
「ふうん、そうなの、ところで、二人は結婚しそう?」
話が、随分性急であった。
「そんな、ことまで分かる訳ないでしょ、でもわたしはそうなるんじゃないかって直感はしたわよ」
恭子は、確かにそのように感じていた。
「そうでしょ、だから、私は、大澤先生とは付き合わないほうがいいのよ。そうでしょ」
「それなら、どうして、あんなことになったの」
「それは、成行なの」
「そんなの、無責任よ、大澤先生まだ、熱を上げているんでしょ」
「私は、ちょっとした、恋の火遊びのつもりだったんだから。あなたにはまだ、大人の恋なんて分からないんだから」
「そんなに、私は子供ではありませんよ」
「そうですかね、ところで、いいこと教えてあげようか?」
「えっ、何のこと」
「でも、恭子泣いちゃうかも」
妙に、気を持たせた言い方をした。
「何なに、どういうこと?」
「恭子、この前私の見た男の子、好きなんでしょう?」
「ええ」
恭子は、何を云われるのか、さすがに不安な面持ちだった。
「この前私、車の中から、彼を見かけたの。女の子といっしょだったわ。制服を着ていたんだけど、恭子と同じだったから、同じ高校よね」
「どんな、人だったの?」
「眼鏡を、かけていたけど、綺麗な子だったわ。自転車を押していたわ」
「どこで」
「図書館の近くの、国道でよ」
「背の高いひとだった?」
「背はあなたと、同じ位よ」
「ほらほら、べそをかいてきた」
「ひどいわ、そんなことを云って」
「あなたを、心配して云ったのよ。でも、二人はデートしているって感じでもなかったわね。直接彼に聞いてみれば?」
「どうやって」
「ばかねえ、また家に呼べばいいことでしょう」
「そうよね」
恭子は、小さな不安という火が心の中に灯ったのを感じていた。良祐と歩いていた娘は誰だろう。もしかして、マドンナの相川詩織ではないだろうか。そんな、気がしていた。
「そんな、顔しなくていいよ。まだ、あんたたちどうせ手も握っていなのでしょう?」
「ええ」
「まだ、始まっても居ない恋に怯えてはだめよ。元気を出しなさい」
そう云うと、亜希は、明るく笑った。
恭子にもようやく、笑顔がもどっていた。
相川詩織は、ペンを置くと。大きく伸びをした。目の前の置時計は、午後の9時を回っていた。母が帰って来るまでは、まだ間があるが休憩にすることにした。紅茶を入れると、お気に入りのクッキーを出してきた。年頃だけに、ダイエットには気を使っている。だから、枚数は3枚と決めていた。
詩織は、どうしてあんなことになったのだろうと思った。寺島良祐との約束のことであった。
詩織は、自分がマドンナと呼ばれていることは、知っていた。付き合ってくれないかと申し込まれたことも、幾度もある。だが、その都度、自分はまだそのような気持ちの余裕がもてる状況ではないことを理由に、やんわりと断わってきた。もちろん、今までどおりの友達で居て欲しいという言葉を付け加えることを、忘れなかった。だから、逆に、ファンが増えて、マドンナと呼ばれることになってしまったのだということも分かっていた。
寺島は、ずっと目立たない生徒であった。正直、外観は悪くないと詩織も思っていたが、いわゆる大人しい生徒であったし、廊下での事件までは言葉を交わしたことも無かった。だが、最近成績の伸長が著しかった。だから、ぼんやりとではあっても、寺島の存在は詩織の心の中にあったのだと思う。
しかし、彼が、詩織にあのようなことを云うとは、まったく考えてもいないことであった。いわば、不意打ちをくらったようなものであった。だから、あのような話になったのは、成行としか、説明のしようがなかった。ただ、そのとき、詩織が彼に対して、少なくとも不快感を感じなかったことだけは事実であった。そのことを、思い出して、詩織はため息をついた。
家でデートをと言ったのは、とっさのことであった。いつもどおり、断わればいいことだったのに、なぜかそうならなかった。しかし、本音のところで、受けますとも云うことは出来ない相談であった。
賭けに勝ったときの、選択肢は、引越しの手伝いであった。近々、引越しをすることになっていた。それは、業者を頼めば良いことだったが、母の淳子は徹底して、無駄な金を使わない主義であった。母子ふたりでの小所帯であった。何人かの男手さえあれば、自分達で出来ることであった。こうやって、淳子は女手一つで、詩織を今日まで育ててきたのであった。
母がこう云った。
「詩織、お前の友達で、手伝ってくれそうな、男の子はいないかい?」
「そんなことは、任せてよ。私これでも人気あるんだから。でも、夕食くらいは、ごちそうしてあげるんでしょ?」
「それは、もちろんよ」
「じゃ、お願いするから」
淳子は、商売柄も付き合いが広い。それこそ、男手くらいはいくらでも集めることが、できるはずだった。しかし、逆にそれは出来ないことだったのだろうと詩織は考えた。
私の場合は、友達で済む。だが、彼女は仕事のこともあるし、男と女のこともある。母はもちろん、誰とも付き合ってはいないが、付き合いを申し込まれている男がいるようであった。そのことを、詩織は感じ取っていた。
家でデートといえば、ただ遊びに呼んだということになる。でも、母に根掘り葉掘り聞かれそうで、それは、やはり避けたいことであった。
寺島には、負けるわけにはいかない、だから頑張るしかない、詩織はそう決心していた。
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