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第五章 銀の耳飾
待ち合わせていた場所に彼女が来たのは、八時ぴったりだった。
「待った?」
「いや、僕も今来たところさ」
「時間があまり無いわね、私の行きつけのお店に行くけどいいかしら?」
「もちろん、かまわないよ」
私たちは、肩を並べて歩き始めた。雪が少しちらついていた。余り寒くはなかった。雪は、ふんわりして、柔らかい感じがした。
「静かで、いいイブね」
「そうだね」
「家では、ケーキ食べてきたの?」
「クリスマスケーキじゃ食べきれないから、ショートケーキだったけどね」
「そうなの、私のところは、結構大きなクリマスケーキだったわ。姪達は、とてもよろこんでいたわ」
「乾杯はしてきたの?」
「ええ、シャンパンを開けて、それからワインをいただいたわ。平野君は飲んできたの」
「うちも、シャンパンは開けたけど、それからはビールを飲んでいたんだ」
「そう」
話をしているうちに、店に着いたようだった。裏通りに面したスナックだった。私の隠れ家なのと云うと、聡子は私にウインクをした。それから彼女は扉を開けた。
「あら、聡子じゃないかい。しばらくだねぶりだね。今日は、二人連れとは、珍しいね」
「いよう、聡ちゃんひさしぶりだね」
店に居た、年配の男が声を掛けてきた。常連客のようだ。
「ママ、元気だった。この人、私の古い友達なの。でも、今晩の列車で札幌に行くから、あまり長居はできないわ」
「そうなの、まあ、時間の許す限り、ゆっくりしていって」
すこし、太ってはいるが、もののいいかたが、磊落で、気持ちの良いママだった。
「いつものでいい?」
「平野君、水割りでもいい?」
「ああ、いいよ」
「ママ、そうして」
店は、ごく普通のスナックだった。もっと正確にいうなら、北海道の地方都市に相応しいと言い添えたほうがよいのだろう。決して、洗練されてるとは言いがたかったが、気安くくつろげる雰囲気が、何ともいえなかった。客は、先ほどの男と若いカップルが一組いた。
「ママは、とても料理が上手なの、私はここに良く来て、ちょっとしたものを、食べさせてもらって帰ることもあるわ」
「聡子は、いい年して独り身だから、料理はあまりしないもの。私が、母親代わりみたいなものさ」
「いつも、お世話になっています」
「そうだよね、グチの聞き役だしね。それにしても、こんなに好い女どうしてほっておくんだろうね。世の男供は見る目が無いのかと思うわ」
「そんなに、云われるほど、私は好い女じゃないわ。成行だからしようがないもの」
「何云ってんだよ、あんたは、ちょっと臆病すぎるのさ。だからちっとも、前に進まないもの」
「俺でよければ、立候補するよ。でも、かみさんがいるからそうもいかねえか」
先ほどの、男が云った。
「馬鹿いうんじゃないよ、選ぶ権利だってあるんだから」
ママが、応酬した。
そうして、イブだからと二人の前にローソクを立ててくれた。
ママと聡子と私の三人で乾杯をした。
「クリスマスイブと二人の再会に」
そう云ったのは、ママだった。
私は、ママの言葉を繰り返していた。聡子は、変わったなと感じていた。昔は、もっと軽いというか、はねっかえりというか、そんなところが目立った。外見以上に、内面は変わったのかもしれない。そうして、確かに好い女になったと、私はそう思い始めていた。
しばらくしてから、私は思い切って、あの八年前の、イブのことを彼女に聞いてみた。彼女に聞かれるままに、あの時のことを、私も話した。
「そうだったんだ、平野君私を誘ってくれたんだよね」
彼女の最初の言葉は、意外なものだった。そうして彼女は、記憶をたどる様に少しずつ話し始めた。
あの日は、私の高校時代のクラスの仲のよかった連中があつまって、つまりクリスマスパーティを開いたというわけなの。とにかく、とても盛り上がったのよ。そのうち、告白タイムっていうか、高校時代に好きだったというような話になったわ。後から来た男の子、河野君ていうんだけど、私を好きだったというの。彼は、バスケット部で女の子に人気があったんだけど、それでさらにヒートアップしたんだと思うわ、私も随分飲んだっていうか、飲まされたわ。それでも、平野君との約束があったので、抜けようとしたのだけれど、皆から彼氏かと追及されて、そうではないと答えたの。だって、そうでしょう?
それならほっとけと皆が言ったんだけれど、約束だから、私はそれは困ると云ったの。それならと、皆んなで二次会は『ブルームーン』に行くことになったの。正直、それからのことは、余り良く覚えていないの。でも、平野君と話したことは、覚えているから、約束は果たしたと思っていた。
でも、それからだよね、何か私たちは、気持ちがかみ合わなくなって、自然と疎遠になっていったわ。私は、そのイブのことが気にはなったけど、まさか女の子から、酔っ払って記憶がはっきりしないけど、どうだったんだろうっては、口が裂けても聞くことはできないものね。
「でも、平野君は、私を誘ってくれたんだよね。そのとき、どんな気持ちで誘ってくれたの?」
「やっぱり、好きだったのだと思う」
「そう、あの日のイブがもっと違ったものだったら、私達どうなったのかしら?」
「もしかしたら、恋人どおしになっていたかもしれない。あるいはそうならなかったのかもしれないし、それはやっぱり、分からないな」
「そうよね」
二人が、口をつぐんだ時、『クリスマス・イブ』が流れてきた。
「私、この曲、好きだわ」
「山下達郎だよね、僕もとても好きだよ」
私は、その曲を聞きながら、八年前のイブを思い出していた。
あっという間に時が過ぎた気がする。私は、ママにタクシーを呼んでもらった。
「今日は、ものすごく楽しかった。聡子に会えて良かったと思う」
「私もよ、お仕事頑張んなさいね」
タクシーはすぐに来た。
私は、バッグを持ち上げると、ママにも一礼した。
「この街にきたら、また必ず寄りますから」
「約束だよ」
私が扉を開けようとしたとき、ママが云った。
「聡子、駅まで送っていきなさいよ」
「でも」
彼女は、当惑したように、私を見つめた。
「いいわよね、平野さん」
「ええ、もちろん」
私たちは、自然と寄り添うように座っていた。
私は、心の中で、聡子は本当に素敵な女性になったと改めて思っていた。若い頃の、ちょっと蓮っ葉なところもそれはそれで、魅力があったが、今はそばにいると心が安らぐ感じがする。香水か、化粧か微かに彼女の甘い香りに気が付いた。そうして、私はそっと彼女の横顔を見た。
彼女は、銀の耳飾をしていた。おそらく彼女なりの、ささやかなおしゃれをしてきたのだろうと思った。その瞬間、とても彼女が、いとおしく思えて、自分の気持ちを抑えることが出来なかった。
私は、彼女の手をそっと握った。そうして、それから、彼女は私の手を握り返してきた。しばらくして、彼女はこう云った。
「また、誘ってくれるの?」
「ああ、そうだよ」
小降りの、雪の中をタクシーは駅に向かって走って行った。
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