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第十二章 父親
純哉は、書斎で父の浩行と向き合っていた。仕事の話だと、母の真智子には云ってあったから、居間でテレビでもみているはずだった。
「純哉、お前の考えは分かった、気持ちも分かる。しかし、ビジネスのことに、個人的な感情を持ち込むことはどうかな」
「でも、父さん。ビジネスであろうと、なんであろうと、おおよそ人間のやることに、感情の入らないものだとないと思うんだけど」
「お前のいうことも、分かるが、感情が入り込みすぎると、冷静な判断が出来なくなる。確かに、熱い思いというものがなければ、大きなことが出来ないのも事実だが、感情に溺れて、ミスを犯すのも人間なんだよ」
「それでは、僕の計画書は、どうですか、決してそんな、独りよがりのものではないと、自分では思っていますが」
「まあな、リスクはあるが、それなりに、考えてはいると思う」
「なら、どうして、賛成してくれないんですか?」
「なにも、私は反対だと云っているわけではない。ただ、お前のその気持ちの傾斜が、心配なだけだ」
「そんなに、僕は子どもじゃありませんよ。ビジネスを成功させることが、この計画にしても、絶対必要な要件になってくること位は、知り抜いています。だから、個人的な感情から、問題の本質を見失うなうようなことなんかありません」
「ふうん、お前にしては、珍しく、なかなか、食い下がるじゃないか」
浩行は、内心驚いていた。純哉は、子供の頃から、いわゆる良い子であった。まったく、反抗期というようなものが、無かったとまでは云わないが、まず親に逆らうというようなことはなかった。ただ、それは、血の繋がりが無いから、変に遠慮しているということでもなく、純哉の本質的な性格によるものであったと思う。人の心を読むに敏なところがあって、聡明な子であったが、その分、人を押しのけてまでというような、良いにつけ悪いに付け、パワーというものが、少し物足りないと感じていた、浩行であった。
だが、目の前に居る、純哉はそれまでの、印象とどこか少しだけ違って見えた。だがと、思った。もう少し前から、純哉は変わり始めていたのかもしれない。
それは、純哉の進路のことからだった。浩行自身は、出来れば、自分の会社に入社して、ゆくゆくは経営の一端を担って欲しいという気持ちはあった。だが、それを強要するつもりは、なかった。一つには、自分自身がそういう道を歩いてきたからであった。どんなことにせよ、自分でやりたいと思うことに進むことが、たとえ結果がどうあれ、本人にとって、納得のいくものであろうと思ったからである。それと、もうひとつは、智久の存在である。長兄の智幸は、商売を嫌って違う道を選んだが、智久は、進んで自分の後を継ぐつもりになっていてくれたからであった。智久は、自分の息子ながら、頼りになる男だった。だから、今の会社の一番重要なポシションにもつけた。
そういう訳で純哉には、好きな道を選ばせるつもりだった。だが、嬉しい誤算があった。
純哉が、初めてこの家に来た時には、智久が丁度今の純哉の年だった。十年の月日の経つ早さに、浩行は感慨を覚えていた。
予想されていたことだったが、初めは純哉は仲々誰にもなつかなかった。一般的な男の子よりは、純哉は間違いなく、繊細な子であったと思う。浩行にとっては、孫と云ってもおかしくはない、純哉であった。そう簡単に、親子関係を築けるとは思っては、いなかったものの、実際にその、状況にいたってみると、浩行は途方にくれた。
だが、その突破口は、思わぬところにあった。智久である。そういえば、小さい頃、智久は、弟が欲しいと云っていたことがある。だから、そうしたのかもしれなかった。
智久は、スポーツ万能であった。ある時、純哉をスキーに連れて行くと云いだした。純哉は、もちろん北海道でスキーを、滑っていたからであった。
ある日の朝、なかば、強引に、純哉を車に乗せると、智久は車を発車させた。浩行も、真智子も不安げな目で彼らを見送っていた。数日経って、戻ってきた二人は、別人のようであった。年ははなれているが、本当の兄弟のように見えた。それからは、よく庭でキヤッチボールをする、二人の姿があった。
そうだ、そんなことが、あったんだ。浩行は、忘れていた記憶を思い出していた。その日から、すこしずつ、純哉はみんなの中に、溶け込んでいったのだと思う。
仲の良い兄弟になった。だからだろう、純哉は卒業したら、自分の会社、というより智久のところに入社するといいだした。それが、浩行の思ってもみない、嬉しい誤算だった。智久は、ビジネスに対する、夢や情熱を、純哉に植え付けたようだった。というより、実際は智久の熱が、純哉に伝わっていったというのが、本当ではなかったのか、浩行はそう思っていた。まだ、学生でありながら、純哉は、智久からビジネスの手ほどきを受けていた。浩行は、二人が手を組んで、夢に向かってつきすすみ始めたら、自分の思いも寄らないことをやりはじめるのではないか、そんな期待と希望を、密かに心の中に収めていた。
純哉は、そう簡単に、父が納得してくれるとは思っていなかったが、それは予想どおりであった。確かに、経営者の立場で、リスクをとらないと、いう判断をするなら、確かに自分の計画は、却下に値するものであった。だが、リスクなしに、すすめられるものごとなど、実際にはあるはずがない。動くか、動かないかそれだけだ。智久兄は、父の了解を貰ったといっていた。だから、二択では、父は必ず、動くほうにかけるはずだと、読みがあった。もし、自分の計画が、却下されるのであれば、思いも寄らない、なにか見落としがあるか、思い違いがあるだけだと思った。何度も、自分の計画書を見直してみたが、そんなところは、無いと言う自負があった。
「純哉、その聡子という子は、そんなに魅力的な子なのか?正直な気持ちを聞かせてくれないか?」
純哉は驚いた、計画の詳細について、突っ込まれるのだろうと、思っていたからである。だが、父の質問は、予想していないものだった。
「ええ、その通りです。正直好きになってしまいました。だけど、ただ、可愛いだとか、綺麗だとかそんな浮ついたものではないと思っています。彼女の魅力は、まだまだ、これから磨けば、無限の輝きを増すような気がするんです。もっとも、彼女自身はそのことに、気が付いていないと思いますが、だから、なお更惹きつけられます」
「なるほどな、そのきっかけは、皮肉なことに、木原重成の書類だったとういわけか」
「そういうことになります」
「なあ、純哉、面白い話だとは思わないか。私に、云わせれば、こういうことがあるから、人生は楽しいのかもしれない。そう思うな」
「そうですね」
「だけど、純哉、その聡子という女の子と付き合っていくのは、大変なことだぞ」
「どういうこと?」
「お前の云うように、その子は、輝きを増していくかもしれない、だが、お前が、そのままだったらどうだ、彼女に、飽きられてしまうだろうな。お前は、おまえ自身を磨いていかなければならないということさ」
「そういうこと、うかうか出来ないということですね」
「さて純哉、お前が人を好きになって分かったと思うが、人の心は不思議なものだ。思えば彼女を好きになったのは、お前の意思ではないだろう?」
「どういうことですか?僕は僕の意思で彼女を好きになったのですよ」
「純哉よ、ようく心を静めて思い出してごらん、お前は聡子と出会おうと思って、まあ再会かもしれんが、出会ってはいないんだ、それは、めぐり合わせという不思議なものさ。そうだろう。そうして、お前が彼女を好きになったと思っているが、気が付いたら好きになっていたはずだ。それは、お前の意思でもなんでもない、だた、こころを奪われてしまっていただけさ」
純哉は、父の言葉に衝撃を受けていた。確かにその通りだと思った。いつもは、厳粛な父が、このようなことを云うとは、思いもかけなかった。
「私が、真智子を好きになったのも、そういうことだ。今の、お前なら分かるだろう。お前が、私に対して、それほど大きなものではないけど、わだかまりを持っていたことは、気が付いていた。だが、もうお前は、男として私のことを、理解してくれるはずだ。そうして、父親としても。私が、真智子に対して良い夫かどうかは、断言はできない。お前は、私の外でのことも、少しは知っているんだろう?だが、私が、真智子と一緒になったときの気持ちに、偽りはないし、これからも、大切にしていこうと心に変わりはないんだ」
純哉は、胸が熱くなった。嫌いではなかったけど、どうしても、ある距離を置いてきた、父であった。だけど今、その心の内が分かった。純哉は嬉しかった。
「父さん、良く分かったよ。僕は、父さんの息子になれて、幸せだと思っているよ」
思わぬ、話になってしまった。二人は、お互いの気持ちを確かめるように、ほんの少し押し黙っていた。
沈黙を破ったのは、浩行であった。
「ところで、このことは、智久とはよく話しあったのか?」
「ええ、父さん」
「それで、賛成してくれたのか」
「やっかいなことを、持ち込んできたが、応援してくれると云ってました」
「そうか、分かったよ。このことは、全面的に智久に任せる。だから、二人でよく相談しろ」
「やった、父さんありがとう」
純哉は、思わず父の手を握り締めていた。
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