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第十四章 其々の思い
純哉は、ひとつため息をついた。だが、それは決して重苦しいため息ではなかった。聡子に合える嬉しさと、何ともいえない自分の心の中の切なさから出てきたものだった。今、自分がここにこうしていることが、本当に不思議なことに思われて仕方がなかった。
今日はほとんど揺れも無く、快適な航行を続けていた。間もなく、飛行機は着陸態勢に入るはずであった。
純哉は、父と話しをした時のことを思い出していた。結局父は、自分の計画を承認してくれた。それから、久方ぶりであったが、父と母と自分の三人で居間でいっぱいやった。父はご機嫌だった。少しばかりあった自分のわだかまりも消えて、純哉も本当に楽しい酒を飲むことが出来た。母は、どちらかというと下戸であったが、ワインを少しつきあってくれた。そうして、父との話しの成行を聞いてとても喜んでくれた。島村家のことでは、母も心を痛めていた。それから、暫くしてから父が云い出した。
「純哉、『北の森』に行って来い」
「えっ、本当に!父さん、でも、どういう風の吹き回し?」
「良く考えてもみろ、純哉。このことは、島崎家にとっても、その聡子という娘さんにとっても、大きな人生の岐路になる。書類や、電話で話しをつけることはできないことではないが、お前が行って二人の本当の気持ちを確認することが何より大切だろう。お前の考えの、最大、島崎家に配慮した、二人がそのままラーメン店を続けるという案にしても、顔も合わせないで説明のできることではないだろう」
「たしかにそのとおりですね。でも、父さんにそこまで考えてもらえるとは思わなかった」
「それと純哉、私がこの件について了解したのだから、すぐ動き出さないとまずいぞ。相手が予想外の動きに出ないとは限らない、そうなったとしても今回は心配ないとは思うが、打つ手が遅くなるほどリスクも高まる。それは、分かるな?」
「うっかりするところだった、父さんありがとう。早速、兄さんと相談するよ」
それから、兄に頼んで下準備を着々とすすめていた。でも、意外と、そのことは、大変だったようで、ようやく最後の詰めを出来る状態になったのが今日であった。明日の朝、兄に連絡をとれば、すべてが動き出すことになっていた。そうして、木原たちは、思わぬ成行に驚くことになるだろう。この飛行機は最終便であった。店につく頃には、丁度閉店の時間になっている頃だった。それで、じっくりと話ができるはずだとの考えがあった。店には、出発前の羽田から、電話をしていた。
「はい、『北の森』ですが」
「純哉ですが、おじさん?」
「そうだよ、電話待っていたよ。そろそろ、書類が着くかと思っていたんだけど」
「遅くなって、すみません。いろいろ、時間がかかっちゃって。ようやく、準備ができたんだ」
「そうか、それは、よかった」
「ところで、これから、そちらに行きますから」
「なに?」
「今、飛行機に乗り込むところでなんです。書類を持って」
「今日来るということ?」
「ええ、閉店くらいに、店に着きます」
「驚いたな」
「詳しいことは、着いてから」
「分かった、じゃ、待っているよ」
「それじゃ」
着陸態勢に入った機体の窓越しに、M空港の灯りが見えてきた。
隆造から、そのことを聞くと、聡子は目を丸くして驚いた。
「こちらまで、来るってどういうことかしら?きっと、良い話よね」
「詳しいことは、着いてからと云っていたが、直接相談をしたいということだと思う。俺は、悪い話だと思ってないけど」
「ねえ、父さん。今日は少し早く店を閉めようよ」
「そうだな、少し部屋をきれいにして。そうだ、聡子酒もつまみももないな、準備しておいてくれ」
「いいわよ、父さん」
いつもより、一時間も早く『本日は閉店しました』と貼り紙を出した。聡子は、自転車を出すと、スーパーに向かった。
バスに乗るなんて、本当に久方ぶりだった。この前バスに乗ったのはいつだっただろう、純哉はぼんやりそんなことを考えていた。そうか、世田谷の教授の家に招待された時以来だから一年程前になる。そうして今は、北海道の夜の国道を走るバスの中であった。純哉はバッグを大事そうに抱えていた。このなかには、島崎家のみならず自分の先行きに大きくかかわるであろう、書類があったのである。もうすぐ、聡子に会える。窓ガラス越の闇を見つめながら、純哉はそうつぶやいていた。
聡子は、どうしても落ち着くことが出来ずにいた。もう、会うことが出来ないかもしれないと思っていた、純哉が間もなくここに来るはずであった。その嬉しさは、なんと表現していいのだろう。隆造が、「きっと祝杯を挙げることになるだろう。そんなことはないとは思うけど、万が一にでも残念会になるかもしれない。どちらにしたって、一杯やるのは間違いない」そう云って、笑った。
聡子は、料理の盛り付けをしながらも、心はそこになかった。
隆造は、いよいよ来るべきものが来たのだと思った。果たして、純哉は何を持ってくるのかそれはまだは分からない。だが、間違いなく、間もなく全てが決まる。人生は等質に流れているようで、実はそうではない。人生を重ねていけば、誰でも自然と気が付いていくことであった。それが、とにかく今晩だということだけは、隆造はひしひしと感じていた。ただ、どんなことになろうとも、自分はそれを受け入れていかなければならないだろうと思った。とういうより、自然にそうなっていくのだろうと思った。それを、人はおそらく運命というのだろう。隆造は、柄にもなくそんな思いを抱いていた。そうして、仏壇の咲子のところに行って写真と向き合った。
木原重成は、馴染みのスナックに一人で来ていた。スナックと云っても、ここはかなり高級な部類に入る。××興産の傘下の店の一つだった。ママは当然のことながらといっていいか垢抜けした美人であった。源氏名なのかもしれないが綾乃という名前だった。さすがに、対応のひとつひとつに如才がない。
「今日は、いつもご一緒の方、大島さんっていいましたね。いらっしゃらないんですね」
「ああ、彼は今日はまだ仕事さ。仕事といっても、まあ飲み会みたいなものだけど」
「それでも、遅くまでごくろうさんね」
「まあね、彼とは明日から、暫くK市に行くことになっているんだ」
「いつも、思うんですけど、木原さんの仕事は大変ですね」
「そんなことはないさ。仕事なら大変なのはあたりまえのことさ」
K市に行ったら、島崎の話を、決めなければなかった。聡子の、面影が木原の脳裏をよぎった。彼女は、いい娘だ。年甲斐もなく、彼女に惹かれているのか、そんな自分を自嘲していた。彼女の面影は、かつて木原の好きだった女を思い起こさせた。
「ところで、ママ、今日はどうだい。そうそう、いつまでもすげなくしなくたっていいだろう?」
木原は、綾乃の目をじっと見つめた。綾乃は、木原の視線を受け止めると、そっと、目をそらした。
「そうねえ、今夜は付き合おうかな」
木原が、微笑(わらっ)た。すすき野の夜は、更けていく。
バスターミナルで乗り換えていた。タクシーから降りると、純哉は店の前に立った。入り口に貼ってある『本日は閉店しました』の貼り紙を見ると、思わず微笑んでしまった。
戸を開けると、聡子がそこに居た。すこしこわばった表情で、純哉の目をじっと見つめた。
「いらっしゃい。待っていたわ、ずっと」
「ああ、僕もだよ、会いたかった」
そう云うと、純哉は、ゆっくりと、店に足を踏み入れた。
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