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第五章 切ない想い

 「おはよう」
 部屋を出ると、聡子の笑顔と出合った。
 「おはよう、良く眠れた、昨日は遅かったんでしょ?」
 「ああ、ちょっとね。おじさんは?」
 「もう、起きて居るわよ」
 「昨日結構飲んだんだけど、大丈夫だったのかな」
 「よっぽどでなければ平気よ、べろんべろんになって帰ってくることもあるんだから」
 「ところで、聡子ちゃん。今日から僕一週間位、アルバイトで使ってもらうことにしたから」
 「みずくさいわ、そんなこと云わないでお客のままで良いじゃない」
 「それじゃ、僕が居づらいんだ」
 奥から、聡子を呼ぶ声が聞こえた。隆造であった。
 純哉は、洗面所の鏡に前でじっと、自分の顔を眺めた。髭が伸びていた。これじゃ、聡子にきらわれそうかと、思った。

 隆造は、聡子に純也が一週間位とどまることを告げた。
 「今、純哉さんに聞いたところよ」
 「そうか」
 「なにも、そんなに気を使わなくても良いのにね」
 「ところで、昨日純哉君に、例の話をしたんだ」
 「あら、そうなの、そんなこと、話しても仕方がないのに」
 「そうだけど、俺も誰かに話を聞いてもらいたかったんだ。純哉君なら別にいいだろう?」
 「まあね」
 「それに、純哉君経済学部に通っているから、だから、もしかしたら、何かの力になれるかもしれないって云っていた。例の書類を見たいといっていたんで、見せるつもりだ。俺達は中身がよく分からないから、それだけでも頼りにはできると思う。それと、そのことで、あとでお前と話をしたいと云っていたから」
 「いいわよ」
 聡子は、あの話を聞いてから、気持ちの晴れることはなかった。自分は、結局は気の進まない道であっても、選択肢はそれしかないように思えて、自分の身が自分で可愛そうに思えた。
 純哉が、この問題を解決できるできるような、そんな甘い世の中でないことくらいは、聡子でも分かっていた。それでも、自分達のことを心配してくれる、純哉には頼もしさを感じたし、たとえ暫くでも一緒にいてくれることが、とても嬉しかった。
 そうして、聡子は、今朝から妙に、自分が元気だと思った。それは、純哉のせいだということにぼんやり気は付いていた。
 
 今日から、アルバイトということではあったが、今日だけは、時間を貰った。例の書類の内容を調べたかったのだ。書類に目を通して、純也は意外な思いに捕らわれていた。最初の話から、辻褄(つじつま)あわせだけのいい加減な内容を、想像していたのであった。だが、その内容は、数字上はすくなくともきちんとしていた。内容も、小さなビジネスモデルとして、一貫性があった。逆に、二人の男はその辺りに、どこでもいるような男達ではないと思った。ただ、それならそれで、また対応のしようがあると思ってた。いずれにしても、智久兄さんとよく相談しなければならない。窓から入ってくる風が気持ち良かった。

 昼休みに、智久兄と話をした。
 「今、北海道って訳か、学生さんの身分がうらやましいよ」
 「兄さんだって、かつてはそうだったんじゃないか」
 「そりゃあ、まあそうだけどな」
 時間が、無いから純哉は、昨日の話をかいつまんで話をした。
 「ふうん、おまえ偉いことに首を突っ込んだものだな。××興産の名前は聞いたことがあるよ」
 「それで、兄さんに二つ頼みがあるんだ」
 「なんだ?」
 「一つ目は、その××興産について調べてもらいたいんだ。とくに、裏の顔がないかとかそんなことなんだけど」
 「なるほどな、それともう一つは?」
 「後から、書類の内容を、とりまとめてパソコンで、兄さんの所へ送るから、兄さんの目で見てほしいんだ。特に、融資関係は、僕は余り詳しくないから」
 「うん、分かった」
 「いつ頃、分かりそう?」
 「急いでいるんだろう?」
 「そうだよ」
 「今日の夜に、電話をくれよ」
 「悪いけど、頼むね。それと僕は、1週間ほどここに泊ることにしたから」
 「聡子という娘のためか」
 「そればかりじゃないんだ、僕に考えがあるんだ」
 「そうか、だけど親父を心配させることだけはするなよ」
 「うん、分かっているよ、それじゃ」
 兄が、忙しい身体なのは知っていたが、今このことを頼める人間は、兄以外には居なかった。
 純哉は、電話を切ると、ふうっと息をついた。そうして、バッグから、小型のノートパソコンを取り出した。そうして、書類を見ながら、猛烈なスピードでキーを叩き始めた。

 二時を過ぎると、客足はずっと落ちる。聡子が、純哉のところに来た。
 パソコンに打ち込んだデータは、すでに携帯のデータ通信を使って、送信が完了していた。
 「お待たせ、父がいいって云ってくれたから」
 「ねえ、せっかくいい天気だから、外でも歩きながら、話をしないか。懐かしい街も見たいし」
 「いいわよ、でも日差しが強いから、帽子を被(かぶ)っていった方がいいわよ」
 「お父さん、ちょっと外行ってくるね」
 「ああ、いいぞ」
 隆造の機嫌は悪くなかった。
 二人は、偶然同じような紺のキャップだった。そうして紺のGパン。おまけにTシャツの色まで、同じく白であった。聡子は、女子の中では背の高いほうであった。だから、二人が一緒に歩く姿は、絵にでも描いたようなお似合いのカップルに見えた。道往く人が、思わず振り向くほどであった。

 さすがに、日差しが強くて暑かったが、風が吹いていたから、汗が止まらないというほどではなかった。
 最初に話しかけてきたのは、聡子だった。
 「ねえ、純哉さん。東京の生活ってどう?」
 「割と快適だよ。人が多いのは大変だけど、慣れればそんなもんに思えてしまうし。もちろん、遊ぶところには事欠かないし。ただ、本当は、僕は生まれ育ったこの町のような、自然のあるところが好きなんだと思う。でも、意外に東京にも自然はあるんだ、そうして海もね。おまけに、歴史を感じさせるような、古きよき町並みもある。だから、結構気に入っているんだ」
 「そうなんだ、もしも、私が東京に行くようなことがあったら、案内してくれる」
 聡子は、いたずらっぽい目つきで純哉を見た。
 「もちろんさ」
 「でもね、行けるはずないけどね」
 聡子は、それを分かっていたが、云ってみたかったのである。
 「人生、先のことは分からないっていうから、そう、それは分からないよ」
 「あら、純哉さん、なんか古びたこと云うのね」
 「そりゃ、君よりは年が上なんだから」
 その言い方が、可笑しかったのか、聡子が笑うと、つられて、純哉も笑った。二人でいると、楽しかった。この時間が、永遠に続かないだろうか、純哉は心の中でそう思った。

 「近くに公園があるの、そこなら木陰もあるし、行きましょう」
 「いいよ」
 
 そこは、住宅街の中にある公園であった。それほどの大きさではなかあったが、白樺の梢が高かった。
 その木陰のベンチに、二人は並んで腰掛けていた。そこには、小さい子ども連れの家族が三組ほど、居て、子ども達が歓声をあげていた。

 「聡子ちゃんは、その話を聞いたときどう思った?」
 「もちろん、ショックをうけたわ」
 「そうだろうな、水商売なんかしたくないんだろう?」
 「当然でしょ」
 「今は、どういう気持ち?」
 「仕方が無いのかなって気持ちもあるの」
 「本当は、保母さんになりたかったんだって?」
 「でも、今はそんなの、全然無理よ」
 「おじさんから、資料を見せてもらったんだけど、僕はなにか方法があるんじゃないかと思っているんだ。期待させて、外れたらしゃれないならないから、なんともいえないんだけど、何とかしたいと思っているんだ」
 「ありがとう、その気持ちだけで嬉しいわ」
 その気持ちに偽りはなかった。そうして、札幌に行くことは、なかば覚悟をしていたことであった。だが、そうなれば、そうやさしく云ってくれる、純哉にはもう会うことが出来なくなるだろう、そのことに気が付いて、聡子は急に悲しさがこみ上げてくるのを感じた。
 抑えようと思った、だが目に涙がこみ上げて来て、そうして瞼(まぶた)から、一筋の涙がこぼれおちた。

 純哉は、ひどく動揺した。だが、何と声を掛けて良いか分からなかった。
 その時、二人の前に、幼稚園くらいの男の子が立っていた。そうして、聡子の様子をじっと見ていた。やがて、ハンカチを取り出すと、こう云った。
 「お兄ちゃんが、いじめたの?このハンカチ使って良いよ」
 聡子は、その男の子を見た。そうして、微笑むとこう云った。
 「ううん、いじめられてなんかは、いないの、悲しいことを思い出しただけ。ありがとう」
 聡子は、そのハンカチで涙をぬぐうと、返した。
 純哉は、後悔していた。あまりに自分は、考えが足りないと思った。もっと、彼女の、気持ちになって考えてやるべきだったと、悔やまれた。
 「ごめんね」
 「ううん、いいのよ。純哉さんの言葉は、本当に嬉しかったのだから」
 そう、云ってもらえて、さすがに純哉も少しほっとした。そうして、聡子のことをいとおしくてたまらないと思った。どうしても、彼女のことを護(まも)りたい、そのことが純哉の心の中の全てであった。
 もう少し、いろいろ彼女に聞きたいこともあった。だが、もういいと思った。なぜなら、もう引き返すことが出来ないほど、聡子のことが好きになってしまっている、自分自信を確認したからであった。

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