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第九章 お気に入りの場所

 カーテンの隙間から差し込む、陽の光が明るかった。純哉は大きく伸びをすると、起き上がった。カーテンを開けると、空は抜けるように青かった。最高の一日だと、純哉はこころの中で叫んでいた。
 聡子が出てきた。だが、その格好をみて、純哉はうなってしまった。Gパンは良い、だが上がTシャツであった。
 「聡子ちゃん、バイクに乗るときは、決まりみたいなことがあるんだ、いくら夏で暑くても、風に当たると全然話がちがってくる、だからジャンパーのように何か風を遮るものを、着なくちゃいけないんだ。それと、絶対無いことだけど、万が一の安全ということもあるから」
 「そうなんだ、私、バイクに乗せてもらうの初めてだから」
 結局彼女は、デニムのジャンパーを身に着けてきた。
 「オーケイ、じゃヘルメットを被って」
 「結構、重たいよね」
 彼女の長い髪が、ヘルメットからはみだしていた。
 「あら、純哉さん、サングラスなの。ちょっと不良ぽいわ」
 「そういうなよ、これは飾りじゃないんだ、目を守るためさ」
 「分かったわ」
 「それじゃ、行ってきます」
 「気をつけてな」
 バイクは、その独特の排気音を響かせながら、隆造の前から遠ざかっていった。隆造は、不思議な感じに捕らわれていた。二人は、ものすごいお似合いのカップルに見えたのである。自分の娘であってそうではないような、なにか映画の一シーンでも見ているような気になった。

 ルートは決めてあった。目立つバイクで街中を走るつもりはなかった。北海道まで来て、せせこました走りをするつもりはなかった。公園に行ったり、川を見たり、そうして最後は、聡子のお気に入りの場所に行くことにしていた。もちろん、行く先々で記念の写真を写した。

 N公園にも行った。そこで、品の良い老夫婦と出会って、二人の写真を撮ってもらった。
 「どうも、ありがとうございました」
 「あなた方は旅行をなさっているんですか?」
 写してくれた、ご主人が聞いた。
 「いいえ、旅行しているのは僕ですが、彼女はこの町の住人なんです。幼馴染なんですよ」
 「あまりに、お似合いのカップルなんで婚約者かと思いました」
 婦人が、そう云った。ふたりは、さすがに照れていた。
 「若い人は良いね、仲良くしなさいね」
 婦人がそういった。
 「ほんとうに、どうもありがとう、ございました」
 遠ざかる、二人を見ながら、ご主人が連れに話しかけた。
 「なにか、昔の、僕らを見ているような気がして」
 婦人は、微笑むとこういった。
 「そうね」
 純哉が、聡子に云った。
 「君の、その格好だと、女子高生には見えなかったんだろうね」
 「きっと、そうね」
 二人は、その公園の明るい日差しの中をゆっくり歩いていった。いよいよ、次に向かうのが、最後の場所になる。

 聡子のお気に入りは、植物園であった。正確にいうならば、その植物園の近くにある公園であった。そうして、その植物園には大きな、温室の建屋があって、当然のことであるが、熱帯、亜熱帯の植物が多くあった。ふたりは、そこに居た。
 「ここも、私の好きな場所のひとつよ、今は夏だから、何とも思わないけど、ねえ、考えてみて。真冬で、辺りは雪で真っ白、だけどここに入ると、別の世界になってしまうの」
 なるほどと、純哉は思った。そのことを、経験したことはないが、想像するだけで、不思議な光景だと思った。
 「今度、僕も実際にそれを、見てみたいな」
 「冬に、純哉さんがこちらにくることはないものね、というより、こちらに来ることは、もう無いかもしれないね」
 「うん、だけど、来れたらいいね」
 「そうね」
 聡子は、小さくつぶやいていた。

 森の中を通る細い小道をぬけると、そこはあった。
 「やあ、素敵なところだな」
 森にかこまれて、ぽっかりとした空間があった。
 「ここは、公園見たくみえるけど、庭石の展示場みたいなものなの」
 「誰もいないね、今日は平日だからだろうか」
 「ここは、いつもめったに人がいないわ」
 「それでも、手入れがとても行き届いているようだね」
 「そうね、ここが私のお気に入りの場所なの」
 「僕も気に入ったよ」
 「そうでしょ、私が始めてここを訪れたのは、中学の時だったわ。確か、野外授業だったと思うんだけど、一目で好きになってしまったの」
 「なんでだろう」
 「公園らしくないところが良いわ、」
 「どういうこと?」
 「私、公園は好きだけど、やはり、どこか造ったという感じがするでしょう?」
 「ここも、公園のようにみえるけど」
 「だけど、周りは森の木で覆われているわ。だから、まるで森の中の箱庭って感じがするの」
 「なるほどね、こんな公園ってありそうでなかなか、無いかもしれない。僕もどこか、他の公園と違う感じがしていたけど、そうなんだね」
 「それに、季節で、とても風景が変わるわ」
 「聡子ちゃんは、どの季節が一番好きなの」
 「皆好きよ、でも一番風情があるのは、やっぱり秋だわ。あんな、高い木の梢から枯葉が舞い降りてくるのよ。とても幻想的だったわ」
 純哉は、その光景を思い浮かべてみた。彼女は一人だったのだろうか?風が吹いていたのだろうか?もし、吹いていなければ、きっと彼女は、枯葉の舞い降りる、かすかな音を聞いたに違いない。
 「少し、歩こうか」
 「ええ」
 そこは、楕円形の形をしていた。二人はゆっくり左周りに歩いていった。一番奥の所に東屋があった。
 「ねえ、記念に一枚撮っておこうか、いい?」
 「いいわよ」
 純哉が、タイマーをセットすると、二人は多少ぎこちない様子で、並んだ。息をつめた二人の前で、シャッターがおりた。そうして、二人は、ほっと息をはいた。
 少しずつ、別れの時は近づいてきた。この後は、家に戻って、純哉は出発するはずであった。
 「純哉さんが、居てくれた、一週間、とても楽しかったわ」
 「僕も、そうだった、というよりすごく幸せだった」
 お互いの、気持ちが、少しずつ分かってきていた。頼りないけれど、心の中に芽生えたものに気が付いていた。
 聡子は、だけど、純哉は居なくなることを考えると、寂しくて、そうしてこれからの自分を考えると不安だった。だから、純哉に好きだとか云ってもらえたら、まだまだ、自分というものを保てそうな気がしていた。だけど、純哉はおそらく、何も云わず、自分の前から去って行くだろうと、聡子は思った。そう、考えると、やはりつらくなった。
 純哉は、聡子がうつむいて、黙り込んでしまったのに気が付いた。
 「どうかした?」
 顔をあげて、純哉を見つめた聡子の目は、涙で潤んでいた。
 その時、純哉は聡子の気持ちを、はっきりと知った。そうして、聡子を誰にも渡したくないと思った。左手にはヘルメットを握っていた。純哉は右手で、聡子を引き寄せた。聡子は純哉の胸に顔をうずめた。聡子の髪の、柔らかな匂いがした。その二人を、夏の風が通り過ぎていった。二人はそのまま、じっと佇(たたず)んでいた。
 「聡子ちゃん」
 純哉がそう呼びかけると、聡子は顔をあげた。二人は、お互いの目を見詰め合った。そうして、静かに、そっと、唇をかさねた。
 聡子の目から、涙がこぼれた。だが、悲しみの涙ではなかった、聡子は嬉しかった。

 ひとしきり、蝉の音が喧(かまびす)しかった。

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