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第三章 出会い
『青い麦』の扉を開けたのは、真由美であった。
「よう、お二人さんいらっしゃい」
マスターの坂崎の声が翔子たちを迎えた。
「堅君たちはまだだけど、もう間もなく来ると思うよ、それまでカウンターでやっていたら」
このスナックは、そう大きな店ではなかったが、ボックス席もあって、広さの割には人が入れる造りになっていた。早い時間であったが、カウンターには、既に数人の客がいた。
堅達とは、真由美の彼の大庭堅介と彼の友人の川端伸二のことであった。二人共、運送関係のドライバーをしている。二人はそれぞれ違う会社に居るが、同じバンド仲間であった。
マスターの坂崎は髭を生やした一寸渋い男であったが、まだ四十には前であったろう。結婚しているのか家族がいるのか、一切謎の男であった。ただ、無類のバイク好きのようであった。なぜなら、藍色が基調の店内には、バイクの写真がいたるところに張ってあった。
そんなことから、店に来る男にはバイクや車好きの男が多かった。そうして、若い彼らは結構彼女を連れて来る事が多かった。その彼女らはまた友達を連れて来た。
マスターは話の上手な男であったが、加えて女性には、すこぶるサービスが良かった。カウンターには、もう一人若い女の子がいたが、さっぱりしていて男の子のような気性であった。そのようなわけで、この手の店にしては若い女の客が多かった。
だから、それを目当てに来る男の客も多かった。要するに、流行っている店であった。坂崎は、その変のところを心得ていたのだろう、なかなか商売のうまい男であった。
「マスター、堅達が来るまで、なにかご馳走してくれるの」
真由美は、目に媚を浮かべながら、ねっとりとした物言いをした。
翔子は、そんな真由美の一面を見るたび、僅かながらの嫌悪感を感じた。だが同時に憧れも感じていた。とにかく、彼女と一緒にいるのはいつも刺激的で楽しかった。いつも、彼女は、翔子にとって限りなくこわく的な存在であった。
「真由美にかかっちゃしょうがないな、その代わり店の売り上げには協力してくれるよな」
そういうと、マスターはシェーカーを振って二人の前に、カクテルを置いた。ちょうど、そのカクテルを飲み終えたときに、件(くだん)の二人が来た。
「ちょっと、遅すぎるわよ、好い女二人を待たせるなんてひどいと思わない。きょうはうんとご馳走してもらうからね」
「わかった、わかった」
そう云ったのは、大庭であった。それから、翔子たちはボックスに移った。その時、グループで入ってきた一団が居た。それで店は、ほとんどいっぱいになった。
ボックス席に移ったときに、真由美はしっかり大庭の隣に座っていた。だから翔子は、川端と座ることになった。
「ごめんな遅くなっちゃって、本当はもっと早く終わるはずだっただけど、予定外の仕事が入ってしまってさ、参っちゃったよなあ」
大庭が、手島に同意を求めるように言うと、とにかく乾杯をしようといった。
店の女の子が、ボトルと氷と水を置いていった。真由美は、マドラーを手にとると、慣れた手つきで水割りを作り始めていった。
その乾杯が終わると、大庭が言った。
「今日は、大いに飲むぞ」
聞いてみたら、大庭も川端も明日は休みを貰ったとのことであった。真由美は、不満気であった。
「何で、私だけが明日仕事なの」
「そんなに、へこむなよ、次がある、そうだろ」
翔子は、二人はいずれ結婚するつもりなのだろうと思っていた。なぜなら、二人の熱々振りは、向かい合っている自分達が気恥ずかしくなる程だったのであった。明日が休みだという気楽さもあって、翔子達は結構飲んでいた。平日だというのに、店の盛り上がりは週末かと思うほどであった。
川端とは、好きな食べ物だとか、バンドの話だとか、たわいも無い話をしていた。
そのうち、川端が真剣な顔で翔子に言った。
「明日、翔子さん休みなんだろ。よかったら、コーヒでも飲まないか」
「いいわ」
思いも寄らないことを云われた。翔子は、川端のことは好きだとも、嫌いだとも思ったことはなかった。ただ、バンドの話題などもそうであったが、話をしていて楽しい相手ではあった。川端が、月並みな文句であるが自分を誘っているのだと思った。どうしょうとかと思った、だが断わる理由が思いつかなかった。なぜなら、明日は何の予定もしていなかったからである。思わず云ってしまった言葉を引っ込めるわけにはいかなかった。
店を出たときには、もういいい時間になっていた。
「どうだ、もう一軒行かないか?」
大庭が、そう云った。
「いいかげんにしなさいよ、私は明日があるんだから」
真由美はそう云うと、翔子の腕を掴んで歩き出していた。
「じゃあ、またな」
大庭は、そう云って手を振っていた。
二人は、まだこれからどこかで飲むに違いなかった。
「男ってのは、飲むとだらしなくなるからね。翔子も気をつけるんだよ」
真由美がどういうつもりでそういったのかは、分からなかったが、何となく納得した気分にはなっていた。
二人は、タクシーに乗り込んだ。
「ああ、私も明日休みたいな」
真由美はそういうと、翔子の額を軽く突付いた。
「でも、先輩は、土曜日休めるんですよね、それはとても素敵じゃないですか」
「そりゃまあ、今回はそうだけどね、堅にはうんとおごらせるつもりよ」
行き先を告げると、タクシーは勢い良く走り始めた。
真由美のマンションは、街外れにあった。真由美が降りるとき、いつものように、翔子に金を渡したが、翔子のマンションにまでには充分な額であった。翔子の住むマンションはまだ、ずっと先であった。真由美は、やり手ではあったが故に、店では必ずしも全員から好かれているという存在ではなかった。どこにでも、妬みや、嫉みというものはある。だが、彼女は金の使い方が綺麗であった。だから、結局のところは皆から一目も二目も置かれる存在であって実質的な店長のようなものであった。
間もなく、マンションに着いた。翔子のマンションは、マンションとはいってもアパートに毛が生えたようなつつましい部屋であった。市内から割りと離れたここを選んだのは、1DKにしては要するに家賃が安かったからである。翔子は部屋に入ると、パジャマに着替えた。長い髪を梳かし終えると、いつものように、鏡を覗き込んだ。アルコールの所為で、上気した顔がそこにあった。明日は、川端と会うことに決めた。
そうして、そういえば今日は涼一から電話が来なかったと思った。公休日の前の日には、会えないかと電話が掛かってくることが多かった。その電話が来なかったことが、少し物足りないのか、それともそれはそれで良かったと思っているのか、翔子は自分でも自分の気持ちが分からなかった。
翔子は、涼一は自分のことを、どう思っているのだろうと思った。涼一は、自分より一つ年下であった。その涼一と知り合ったのも、真由美のせいであった。
どこから、手に入れたのか、工大のクリスマスパーティの券を持っていた。一緒に行こうというのであった。
「でも、先輩は大庭さんという彼氏が居るのに、一緒に行けばいいじゃないですか」
「あんたも、馬鹿ね、工大といえば男供の大学でしょう。そんなところに、カップルで行く無粋はないでしょう」
「そりゃそうかも、しれないけど、先輩もずいぶんね」
「それよか、いいわね、行くよね」
そう、云われて結局、一緒に行ったのである。そうして、そこで強引にダンスを申し込まれたのが、涼一であった。涼一は、感じの良い学生であった。一緒に居て、悪くはなかった。だが、彼は卒業したらこの街を出て行くのだろう。そのことを、面と向かって話をしたことはなかった、というより触れるのが怖い話題であった。おそらく、彼は私のことを、何も考えてくれてはいないのではないだろうか、翔子にはそう思えてならなかった。
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