| HOME > 小説の森 > 竹簾 > 第三話 送別会 |
| 澤村達が店に入って来たのは、十一時を少し回ったところだった。あたしはもちろん、にこやかな笑顔で出迎えたけれど、それは営業用の顔とばかりはいえなかった。自然に笑顔になったというのが正直なところだった。 初めて澤村がこの店に来たのは、一年ほど前のことだった。偶然この店を見つけたと云って、一人で静かに呑んでいた。何処といって目立つような男ではなかったけど、なぜか初対面の気がしなかった。そのことがどうしても気になって、どうしてなんだろうって考えていたら、彼が帰った後で気が付いた。それは私が高校生の時憧れていた先生に雰囲気が良く似ていたのだった。顔が似ているわけではないのに、不思議にあたしはなぜかそういう風に感じていた。その先生は、あたしより勿論ずっと年上だったけど、おとなしすぎるくらい気のやさしい男だった。 澤村がこの店に来るのは、せいぜい月に二回位が良いところだった。ところが最近は足繁くなっていた。めぐり合わせで飲む機会が多くなっているようだった。あたしとしては、もちろんのことだったが、嬉しいことだった。 いっしょに来たのは、同じ工場に勤務している青山という男だった。澤村より一つ年下のはずだったから、初めは後輩に当たるのかと思っていたら、先輩だということだった。つまり、青山は高校卒ということのようだった。少し妙な組み合わせの二人だったけど、とても気の合った飲み相手のようだった。 彼は店へは独りでくるか、青山と来ることがほとんどだった。時折は、同期の篠崎という男と来ることもあった。 「やあ、ママ暫くぶりだね、元気だった?」 「私は、いつも元気ですよ。青山さんも元気そうね。今日は遅かったのね」 「ああ、元々は来る予定にはしていなかったのに、澤村がどうしてもママの顔が見たいって云うもんだから」 「おいおい、青山よ、〆はこの店がいいなっていいだしたのはお前だろう」 「お前が、しきりにママのことを話するから、俺が気をつかったのさ」 「どちらでも、私は来ていただいて嬉しいわ。余り時間がないけど、ゆっくり飲んでいってね」 「その、ものの言い方はおかしいな」 青山が云うと、三人して笑った。二人はご機嫌だった。今まで飲んできたのだろうから、当然のことかもしれなかった。 「それにしても部長はひどく喜んでいたな。あんな、部長を見たのは俺は初めてだよ」 そう云ったのは青山だった。 「初めてで、最後になるのさ」 「そういうことになるんだな」 あたしは、その言葉が気になって訳を聞いた。 「最初で最後って、何かとても気になる話ですこと。その部長さんどうかなさったんですか」 「実は、今日は渡海って部長の送別会だったんだ。個人的なものだけどね」 澤村がそう云うと、青山が続けて話し始めた。 「その渡海って部長は名物男なんだが、実は皆の嫌われものだったんだ」 「なんで、その方は嫌われていたんですか?」 「ひとことで云えば、口うるさい男だったのかな。それとまあ融通が利かないっていうか、古いタイプの人間だった。部下の意見を聞かないで、どんどん自分でやる男だった。男気があるといえばそう云えない事もなかったが、一事が万事で敵の方を多く作ってしまっていた。大体、外注からも嫌われていたみたいだから、そのへんはかなり損をしていたんじゃないか」 「そうなんだ、我々からみたら意固地と思えるほど、仕事には妥協がなかったよな」 澤村が云った。 「実際のところどんなことでも、本音と建前ってものがあるのに、あの部長は建前でやろうとするところがあったからな。やはりやりづらいものさ」 「確かにあれほど、周りと妥協しないというかぎくしゃくしていた男も珍しいな、それでも、そんな男が兎にも角にも部長にまでなったんだからな、青山どうしてだと思う?」 「僕も、はっきりとは分からないけど。そういう男を会社が必要としていたということだろう?」 「そのとおりさ。そういう男がいることで、仕事がやり易い男達がいたのだと、僕は思うんだ」 「とにかく、ママ。そんなことだから、公式の送別会も寂しいものだったそうだ。大体なら二次会へ行くのにまったくそんな声もかからなかったそうだ」 「それに、内輪の個人的な送別会もまったくなかったそうだよ。下の連中も冷たいもんだ」 「ママ、それがどうしたことか澤村が急に渡海部長の送別会をやろうと云い出してさ、あと二人程俺達の仲の良い奴とで、極く内輪のささやかな送別会をやったんだ。部長は感激して最後は顔がくしゃくしゃだったよな。でもよくよく考えたら、なんで澤村そんなことを云い出したんだ? 去り行く先輩のサラリーマンに後輩として敬意を評して一杯飲んでも悪くは無いという、確かにそのことに賛成はした訳だけど、直属の部下でもなかった俺達が送別会をしたのも、今になって考えれば妙な話ではあるな。まあ楽しいことは楽しかったからいいんだけど」 「どうなの、澤村さん?」 「実は部長の送別会は本当に思いつきのようなものだった。誰も、プライベートな送別会をやる様子がなかったという話を聞いた時そうすることを決めたのさ」 「なんでまた?」 「それには、二つの理由というか話があるんだ」 「二つ?」 「そうさ」 それは、父の顔を知らないあたしにとって、ちょっと心を震わされる話だった。 「青山さ、結構前のことになるけれど、例のS−100事件は知っているな?」 「ああ、あの失敗した新製品のことだろう」 「最悪の製品だった。あらゆる部署がえらい迷惑をこうむった。俺は、最大の責任は開発設計部隊とその上の連中にもあったんだと思うけど、結局のところはうやむになった。その時渡海部長、ああそのときはまだ課長だったが、俺と二人で成り行きというかそんなもので、特命の対策処理班みたいなことをやらせられた。しかし、手をつけてみて分かったことは、設計が致命的にまずかったことさ。だがそんなことが分かったところで、どうにもならない、列車は走りだしてしまっていたからな。それを、なんとかしろといっても出来る相談ではなかった。どうも上の連中もそのことは、ある程度は分かっていたようだ。それを承知で、我々二人に問題を押しつけたようにも思えたな。しかしやはりどうにもならなくて、すべてうやむやの中で、結局は半年位してから生産終了になった。幸い我々二人にはさしたるお咎めもなかったが、まあ当然牡ことだとは思うけど、ひどい目にあった連中もいたわけだ。そうしてその特命期間の時に、一度だけ渡海課長と飲んで話す機会があった。初めはその新製品の話だったがそのうち、その話は止めようということになった。どうにもならないものを、押し付けられたってどうにもならないものはならない、そういって当時の課長も少しやけになっていたようだった」 「そうか、あの渡海部長がな」 「それで、自然と話題が工場のこととか、サラリーマンのこととか一般的な話になっていった。それで、俺は前から疑問に思っていたことを課長に聞いたのさ」 「なんて?」 「どうして、課長は周りと旨くやろうとしないのかということさ」 「おい、それはちょっといくらなんでも、課長に対して失礼だろう。怒り出さなかったか? 余計なお世話だって」 「ひとことで、いえばそういうことになるかもしれないが、実際は飲みながらの話さ。直接的な言い方はしないさ、そんなようなことをやんわりと話したんだ」 「なるほどな、澤村のものの言い方は結構、柔らかいからな。それで、課長は話したのかその訳を?」 「その場面は、さっきも云ったように連日厳しい状況だったから、二人ともかなり疲れていた。だから、きっと課長も酒の回りが速かったのに違いない」 「話したんだな?」 「部長は苦労人だったんだな。中学のとき父親が病気で亡くなって、それからかなり苦しい家庭状況だったらしい。母親が相当無理をして、部長とその一つ下の妹を育て上げたということだ。部長は高校に進学したが、妹は中学を卒業してすぐ働かなければならなかったならなかったそうだよ」 「そんなことを聞いたのは初めてだ」 「そうだろう、部長もそんなことは他人に話したことは無かったようだ。そうして、うちの会社に就職したが、一般作業員としてだったそうだ」 「それは、聞いたことがあったな」 「その渡海青年が、課長にまでなったわけだ。そうして、渡海課長はこう云ったよ。自分は不器用な人間だと」 「不器用?」 「就職したところまでは良かったのだが、まもなく渡海一家に不幸が訪れた。長い間の無理がたたって母親が身体を壊してしまったからだ。だから渡海青年は、家計を支えるためにがむしゃらになって働いたそうだ。それが、まあ少しずつ上に認められたということだった。だが課長は云ったよ、自分は決して人付き合いが旨いわけでも、能力があるわけでもなかった。ただ人より二倍も三倍も真面目に努力することだけはした。そのことは唯一の自分の自信になっていた。それが、不器用な自分の生き方なのだと思ったと」 「確かに渡海部長は、口は旨いとはいえないな。言葉じゃなく、行動で示せというタイプだったな。現場を、まとめあげるにはそういう男の方が適してもいたんだろう」 「俺は思うんだ、上はそう考えていたんだろうし、部長はそのことをきっと知っていたんだろうと思う。でも、責任者になると孤独だったと思うよ。ましてや、そういう生き方を選んだんだからな。彼が、周囲とそこそこ旨くやろうなんて考えたら、おそらく上にはいけなかっただろうし、暮らし向きの方ももっと大変だったに違いない」 「部長は皆からは鉄の男と思われているが、やはりプレッシャーは感じているし、管理者としての孤独は人一倍感じていたのだろうと思う」 「どうして、そう思うんだ?」 「今話した、ごたごたは一週間もしないうちに一応終わって、というより見切りを付けてということになるが、二人とも自分の職場に戻った。つまり特命チームも解散になったわけだ。もちろん俺は言葉では言い尽くせないくらいほっとしていた。そうしてほっとすると同時に、この数日間を一緒に行動した渡海課長が妙に懐かしく感じられて、ひとことお礼のようなものを云いたくなったんだ。もちろん、別れる時に挨拶はしていたが、なんというか業務上の紋きりの挨拶ではなくという気持ちになって、自宅に電話したことがあった。土曜日だったが、会社は休みの日だった。だから、課長はくつろいでいる頃だろうと思っていた、八時過ぎだったな。初め奥さんが出て、それから課長に代わった。だが俺は驚いた。課長は酔っ払っていた。ろれつが回らないくらいに」 「……それは、驚いたな」 「当時は、驚いただけだったが、今はその時の課長の気持ちが良く分かるようになった」 「分かる?」 「そうさ、 「課長は、土曜日でもまず休んだことはないだろう?」 「そうだな」 「課長が、会社からも仕事からも解放されるのは、土曜日の夜その一時しかなかったのさ」 「日曜日があるじゃないか?」 「日曜日には次の週のことを考えるもんだ。だから日曜の前のその時しかないんだ、仕事のことも会社のことも全て忘れることができるのは。大体考えても見ろ、自分の家でべろんべろんになるって考えられるか?」 「確かに、俺には考えられないな」 「それだけ、課長はプレッシャーを感じていたということさ。その一時だけがストレスの発散のしどころだったんだろうな。何せ普段は、仕事の鬼で、話し相手も飲み仲間もいなかったんだからな」 「ふうん、結構辛い話だな」 「これが、ひとつ目の話だ」 「そうして、二つ目は?」 「おれの、親父の話さ」 「親父さんか?」 「俺の親父も、ひどく不器用な男だった。人付き合いは下手な上に、酒も飲まない生真面目一本の男だった。おまけにツキまで無かったときてる」 「そうなのか」 「たとえば、なぜか昇進のタイミングの時に、病気になったり怪我をしたり。そういうめぐりあわせなのかもしれないが、俺の子供の頃にこんなことがあった」 それから、澤村が話し始めたことはおそらくずっと胸の中にしまっておいたことだったのだろう。 「子供ってのはいつだって出来ればかっこよい親を見たいと思うものだろう? だが、俺はそういう親父をみたことがなかった。俺が小学校の三年のときだった。年に一度、親睦会ということだったんだろうけど、親父の会社の職場対抗の運動会というものがあった。いよいよ最後の種目のリレーになった。親父は第一走者だった。ピストルが鳴って走り始めた親父を見て俺は目をむいたよ」 「どうしたんだ?」 「速かったんだ、走る姿は決してかっこよくは無い、要は馬車馬のように力任せに走っていたが兎に角速かった。俺の鼻先のグラウンドを音を立てて親父の脚が駆け抜けていった。先頭を切って走っていたんだ。その時、俺は初めてかっこ良い父親を見たと思った。だが半周を過ぎたところで、ピストルが鳴って中止がかかった」 「どういうことなんだ」 「ある課の第一走者が、抜けていたということだ。そこで再レースということになった。だが、当然のことながら親父の脚にはもう先ほどの勢いはなかった。結局一位はその抜けていた課が取ったというわけさ」 「ひどい、話だ」 「後から、自然と耳に入ってきた話だが、どうもあのリレーの再走は仕組まれたことのようだった。つまりあの課は汚い手を使ったということだった。まあ、それも噂だったけどな。だが、俺はひどく傷ついた。行き場の無い怒りをどうすることも出来なかった」 「悪いのは、その課の連中だろう?」 「違うんだ、誰がどうであろうと、そういうめぐり合わせにぶつかった親父が情けなかったんだ。自分の理不尽さを分かっていたから、悲しさと、怒りの持って行き場所がなかった」 「そういう気持ちか」 そう云うと、青山はしばらく口をつぐんだ。そうして云った。 「お前の親父さんは、五年前に亡くなったんだな」 「そうだ」 あたしは、何か云おうとおもったけど、言葉がみつからなかった。 「俺は、渡海部長に親父の姿を見たのかもしれなかった。だから、サラリーマンの終わりの時くらい、ひとことご苦労様と云ってあげたかったんだ。幸い俺も、お前も、今日来てくれた二人も部長とは良くも悪くも付き合いが深くなかった。だから、ナチュラルに楽しい酒が飲めると思ったのさ」 「そいうことだったのか、いつかは俺達だって定年を迎えるわけだしな。とにかく、おめえはいい奴だな」 少し照れたように青山はそんな云い方をすると、徳利を澤村の前に突き出した。 その時、あたしはこの澤村という男はなんと優しい人間なのだろうと思った。だけど、それじゃ本当のところ出世は難しいのかもしれない。サラリーマンに限らず、世の中は甘くは出来ていないもの。それでも、あたしは澤村が間違っているとは思わなかった。かえって、心惹かれる自分を感じていた。 二人が立ち上がった時、あたしは澤村に一人でもまたいらして、お待ちしていますと云っていた。 |
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