第十章 彼女の記憶
アルコールのほうが、しっかり回ってきた私たちは、もうかなり打ち解けていた。そうして、当時の色んな思い出話に花が咲いていた。
「ところで、島崎さ、当時好きな女の子なんていたのかい」
「月並みだけど、橋本小夜子にはなんというか、惹かれたというか虜になったというか」
「ふうん、そうだったんだ。同学年のほとんどの男子が彼女のことを意識していたんじゃないか」
その橋本という女の子は、他のクラスの生徒であったが、東京から転校して来ていた。都会の華やかさを身につけていたが、だがそれは彼女が東京に住んでいたというよりは、彼女の生来の気質のようであったのだと思う。当時の、私たちにとって、彼女はとても眩しい存在だった。
「そうだったよな、すごい人気だったよな。でも、実際のところ俺は、ただ彼女を見ているだけだったけどな」
その彼女も、六年の半ばには、転校していった。まるで、風のような、女の子であった。残ったのはその記憶だけであった。
「それより、白井はどうだったんだい」
「僕は実は、倉石絵里が好きだったんだ」
私は、意外な名前に驚いていた。倉石、彼女は決して目立つ生徒ではなかった。だが妙に忘れがたい女の子ではあった。もっとも、私にはある特別な思い出もあったのではあるが。
彼は、言葉を続けた。
「僕は、彼女の笑い声がとても好きだった。なんていうか、鈴の鳴るようなって云うか」
確かに、彼女の声は少し高かった。だが、不思議なことに私は彼女の、笑い声をどうしても思い出すことが出来なかった。それを、白井に云った。
「そうだろうな、彼女が笑い声を上げることはめったになかった。そうさ、微笑んでいることがほとんどだったんだ」
その時、私は思った。白井は彼女の笑い声が好きだったんじゃなくて、彼女を好きだったから彼女の笑う声を聞くことが出来たのだろうと。
「さっき云った、三つ目のわけが、実は彼女だったんだ」
私は、思いもかけない話に、正直びっくりしていた。
「それは、どういうことだ」
「僕は、彼女のことが好きになってから、ずっと彼女のことを見ていたんだ。そうして、彼女が好きだったのは、島崎、君だと分かったんだ」
「どうして、そうなんだ。彼女から、そう聞いたのか」
「いいや、彼女とは、話など出来なかった。ただ、彼女の視線の先にはいつも君がいたんだ。僕は、ずっと彼女のことを見ていたから、そのことに気が付いたんだ。正直、悲しかったよ。でも、彼女の好きな相手が、君だったから少しは救われたと思う。それは、分かるだろう」
私は、何とも云うことができなかった。ただ、そう云った、白井の顔は、屈託がなかった。だから私は、変な気兼ねを彼に感じなくても良いことに安堵していた。
いいかげん私たちは、酔っ払っていた。それからの話は、余り良く覚えていない。その後、彼を私の馴染みの店に彼を連れて行って、しこたまカラオケを歌ったことは覚えている。
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